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LUZの熊野古道案内

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2009年 10月 20日

熊野の旅 さよなら近畿大学工業高等専門学校

 転出が本決まりになるまで、高専の中を眺めたことも無いし、写真に撮ったこともありませんでした。
 私がアマチュア無線の講習会で講師として出かけた頃の校舎はどうやら建て替えられているようですし、無線従事者免許申請の指導で訪れた学生寮も改築された感じでした。
 随分前から廃校などの話があった割りに、構内の整備はきちんとされていますね。
 
 「近畿大学工業高等専門学校」は「産田神社」のすぐ脇にあります。
 産田神社から高専の正門までは100mほどです。
 正門付近の写真を撮ると産田さんの森が写りこみます。
 観光客の人もちらりと目には入っているのですが、道路から見えるのは一番前の本館だけ…という配置なので大きなキャンパスがあるようには見えません。
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 出来た当時には、「土木」「機械」「電気」などの学科が並んでいたのですが、時代の変化によって、「総合システム工学」「電気情報工学」「機械システム工学」「建設システム工学」などという学科に変わって行ったようです。

 『高専』は5年制の高等学校と専門学校をあわせたようなもので、高度成長期、理工科ブームの時代に生まれたものです。
 この「熊野高専」も昭和37年に認可の下りたものです。
 同じときに「国立鈴鹿高専」なども生まれています。
 私が大学に入ったときですから、同じ理工系でも私の年代には縁の無い学校でした。
 当初は国立高専などはものすごい倍率だったのですが、徐々に下がって行ったようです。
 文部省の話では、「5年終了後は途中編入で4年制大学に行ける…」だったのですが、国立高専などは系列大学があるわけでは無いし、普通入試の工学部の倍率が驚異的に高かった時代に、他所の生徒の途中編入を認めるはずも無いし・・・
 「熊野高専」のように上に「近大工学部」があっても、初期の頃は中々認めてくれず、同じ近大での九州送りにしたりしたようです。
 理科離れで志望者が減りだしてからは、この高専もどんどん大学進学枠を広げたようですが、なんと言っても地元、熊野市や南牟婁郡の子供が半減すると生徒数の確保がどんどん難しくなったようです。
 学校は遊ぶところじゃない…とは言え、地方が誘致した「短大」「女子大」でも、「田舎で遊ぶところも無い」となるとお客さんが来たがらないんですよね。
 創立以来、全国から集まる生徒のための寮が用意され学食も完備した学園だったのです。
 町中からも離れ、勉学にいそしむには最高の環境なのですけどねえ…
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 「システム工学」がくっついた学科が増えているからでしょうね、実習室の機械類も重量級の物が少ない感じです。
 もっとも、私が大学に入ったときは理工学部が戸塚に引っ越す直前で、理工科の実習工場が一番古いときでしたから、機械科の工場など、天井にシャフトが走り、平ベルトの稼動する機械までありましたからね。
 鋳物実習室では安全靴ではなく、「下駄」をはいたおじさんまで居ました。
 まだ、日本が重工業、機械工業で生きていた時代でしたからね。
 写真のような機械ばかりになると引越しも簡単ですね。
 それに、2000年に『熊野』の文字を校名から外してありますから、看板の書き換えも要らないですしね。
 
 こうして、この学校も50年ほどで熊野から出てゆきます。
 でも、20年も前から廃校の話が出ながら良く続いた物です。
 しかし、ここ広大な敷地と建物群の跡に入る学校などあるはずは無いし・・・
 グランドとか敷地面積から言うと、『県立木本高等学校』より恵まれているように思うのですが、筆耕s個とも出来ないでしょうしね。
 この敷地、50年前に熊野市の資産化を中心に寄付を集めて買い取り、熊野市が近畿大学に寄進した物です、
 一枚目の写真にある銅像・・・世耕近大総長と紀南地区のつながりもあって膨大な寄付が集まったのです。
 はたして、この跡地はどうなることやら…
 またぞろ、変な箱物を作らなければ良いのですけどねえ…


カメラはSONY α350+シグマ10-20ズーム使用


熊野市周辺地図です
 

by je2luz | 2009-10-20 10:58 | Trackback | Comments(0)
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