古より、熊野の地は信仰の対象になってきました。
日本最古の神社と言われる『花の窟神社』もあります。
火の神を産んだ、「いざなぎ」「いざなみ」など神々が住んでいたようです。
仏教が入ってきてからでも、日本の仏教の総本山のような『高野山』も山を越えればすぐです。
「西国三十三箇所」のご詠歌の始まりも「紀伊の国那智山」です。
さぞかし、住民も信心深そうに思えるのですが…
高野山が近いのに、熊野市や南牟婁郡に関しては一番多いお寺は「曹洞宗」ですね。天理が近いので「天理教」も多いです。「神道」はほんの少し山間部などに残っているだけです。
農地も狭く貧しかった奥熊野の地では熊野三山や「那智山青岸渡寺」以外には大きなお寺もありません。
スポンサーになる貴族も豪族も大名も居なかったのですから、大きな社だとか伽藍を建立するなんて出来なかったのでしょうね。
同じように貧しかった寒い国々では、人々の暮らしの中に「信仰」とやらが深く根付いて、色々な行事が生まれ、伝えられています。
季節の節目節目には民間宗教的な行事があるようです。
むかし…私の祖父の時代などにはこの辺でも、そうした物があったようですが、戦後になるとどんどん消えて行ったようです。
昨夜は南牟婁郡御浜町市木地区では、「中秋の名月」と言うことで、『たばらせて』と言う行事が行われました。
キリスト教の「ハロウィン」の時に行われるのと同じように、子供たちが近所の家に出かけてお菓子などを貰ってくるものです。
元々は、お月様のために縁側にお供えしてあるものを貰ってくる…お下がりを貰う…「賜る」ものだったようです。
今では市木のあたりにしか無いようですが、昔は飛鳥などにもあったのだそうです。
昔はサトイモやサツマイモの茹でた物などを貰ってきたのだそうですが、今ではお供えとは別にお菓子を用意しているようです。
子供の数は減ったけど、親が車で送り迎えしたりするので行動半径がうんと広がっているようです。
もちろん、昔のように全部の家が『名月』をお祭りしているわけでも無いし、お菓子をくれるわけでは無いらしいです。
「虫追い」は紀和町の丸山千枚田に残っているようです。
これも、あちこちで一杯合ったようですが消えてゆきました。
東北の方の「どんど焼」のような注連縄を焼くようなものもあったそうです。
そんな式の民間信仰の行事は田舎なのにどんどんなくなってしまいました。
これも、南の方の南方気質のなせる業なのでしょうかね。
その割には新しいイベントは次々生まれます。
中々定着しないのも、「南方気質」でしょうか?
良く言えば、田舎の割りに仕来たりにうるさくなく、おおらかなのです。
悪く言えば、大雑把、いい加減なのでしょうかね。
この辺の言葉だと・・・
『大概でええぞ!』
『もう ええぞ!』
『ええのにしとこら!』
『ええころ加減じゃのし!』
とか言うことなのでしょね。
便利な言葉です。
熊野市周辺地図です