LUZの熊野古道案内

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2009年 10月 03日

熊野の旅 木本神社 吉田大明神

 木本神社は三つの社殿が並んでいます。
 と、言っても小さな物ばかりで、拝殿は一つに収まっています。
 真ん中は、まあ、ご主人様の神様の館で、「天照大神」の他、三人の神様が住んで居られるようです。そこへ、明治になってから「倉稻魂命」など三人の神様が転がり込んだようです。
 これは明治41年のことで、「神社合祀令」による物だそうです。
 神社でもお寺でも人為的な部分が大きいですから、こんな風に変わってゆくものです。
 そもそも、この木本神社も山の上から海岸までどう言う訳か降りてきた物です。
 神様はありがたいかもしれませんが、神社そのものはさほどありがたいものではないですね。
 おまけに、神社には遷宮なんてまるで戦後の建築行政のように「木造住宅は25年」なんて決めちゃって、ものすごい資源の無駄遣いをしながら建て替えてきましたしね。これも、金の無い地方の鎮守様では住めなくなってから建て替える有様ですけどね。

 まあ、真ん中の大きなマンションには大家さんの「天照大神」と6人の店子が住んでいます。
 大家さんちから見て右手には、戦没者を慰霊するところがあります。
 日露戦争以降の戦没者なのでしょうね。
 私の親父もここに居るのか、それとも、山間部の飛鳥神社に居るのか…
 檀家寺にも「忠魂碑」があるし、「靖国神社」はあるし、「身延山」にも永代供養の登録がされているし…
 階級の低い軍服を着てそんなところに呼び出される「召集兵」はかなわんでしょうね。
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 そして、左手側には、おそらくここにしか無いであろうという神様が祀られています。
 「明治天皇」「乃木希典」「東郷平八郎」…色んな人が神様になっていますが、この人は他では神様にはなりにくいでしょう。
 安政二年(1855)に紀州藩領の村替えがあったとき、それを不服とした木本の住民などが騒ぎ、紀州藩勘定奉行の「吉田庄太夫」と言う御仁が住民の要望を聞き入れ、木本を紀州藩の本藩に残してくれました。
 これを独断でやったため、責任を取って本当に「腹を切った」のだそうです。
 このように木本にとって恩人なので「吉田大明神」として、氏神様に専用の祠を作ってお祀りしている物です。
 幕末に近く、実在の人物なので似顔絵が飾られています。
 「乃木将軍」や「東郷元帥」のように立派な物ではない、なんだか神様らしくない感じです。
 いつ描かれた物か知りませんが、神格化しようとはしなかったようです。
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 なんだか個人の家の御遺影と言った感じですね。
 その時の名残なのでしょうね、わが町内の南のはずれ、変なところで、「紀州本藩」と「新宮領」の国境があります。
 紀州藩に残ったのが良かったのか、新宮藩に入ったほうが良かったのかについての話は聞いたことがありません。
 10年余りで明治維新になったのですから、さほど影響はなかったでしょうけどね。

 氏神様に祀るほどの御仁なのに、学校とかでは取り立てて教えることも無いようです。
 郷土の生んだ英雄ではなく、よそから来たえらい人・・・と言った感じなのでしょうね。
 「かんなぎ」ほど可愛くも無し…「かみちゅー」ほど身近でも無し…
 て…
 忘れられかけた神様です。


熊野市周辺地図です


by je2luz | 2009-10-03 12:16 | 熊野 | Trackback | Comments(2)
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Commented by 匿名 at 2009-10-03 19:19 x
様々な人が住んでます。
独断は慎まれた方がよいのでは、、、
聞く耳を持たれるのであればですが、、、
Commented by je2luz at 2009-10-03 20:43
匿名さんへ
 ***
 あえて事実を曲げたり隠したりはしていないつもりです。
 不愉快だと思われるなら読まなくても済む性格の物ですからね。
 それなりの数の読者の方も定期的に来られています。
 万人に受けるようなゴマすり観光案内はする気はありません。


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