人気ブログランキング |

LUZの熊野古道案内

je2luz.exblog.jp
ブログトップ
2009年 09月 17日

熊野の旅 熊野の基幹産業 製材 1

 昔に比べ、色んな物が減っていますが、今日取り上げる『製材所』も随分減っています。
 昭和30年代50年代までは熊野市内にも随分あった物ですし、この辺の中核都市、『新宮市』にはものすごい数の製材所があったものです。
 紀州は『紀州材』と言われるように全国指折りの材木の産地です。境目がはっきりしない『吉野』を合わせると広大な人工林を抱えるところです。
 育ちの悪い、地形も険しい木曽などに比べ、江戸時代から人手による育林が行われてきています。
 紀勢線などもこの材木を搬出することも目的の一つになっていたのですからね。
d0045383_11244589.jpg

 この工場は私が若い頃に働いていたところです。
 フォークリフトで丸太を運ぶ光景は今も変わっていませんが、工場の中の設備は随分変わりました。
 フォークリフトに免許と言う物が導入されたにはいつだったでしょう?その時に私もとらないと具合が悪いので免許は取ってあります。
 材木を挽く製材機というものの形はこの60年も余って変わっていません。改良程度ですね。
 「帯鋸・おびのこ」と言う物が開発されて、丸太を四角くする機械としてはほぼ完成したと言うことですね。
d0045383_11345368.jpg

 変わったのは、丸太を製材機に載せたり、丸太を回転させてきちんとした形で据えたり、固定したりする力仕事の部分が機械化されて職人一人、指先で出来るようになったことと、製材されたものが、ボタン一つで仕分けされてその後の処理に合う場所にベルトコンベアで運ばれる装置がくっついたことですね。
 もちろん、本当に良い木を製材する工場、「銘木」を扱う工場ではこうした完全オートメーション化はしていませんけどね。
d0045383_11431369.jpg

 私が居た当時と建物は基本的に変わらないのですが、大きな自動機械が座ったので、人間が入り込む場所がなくなりました。
 製材機械を扱う『職工』も完全に一人での作業になり、相談相手も何もなしで、騒音の中で勤務時間中働くわけです。
 恐ろしく人間味の無い仕事場になってしまったものです。
 昔は少し良い丸太が入ると、近隣の製材の親方連中が集まってきて、挽き方について、ああでもない、こうでもない・・・と議論していた物です。
 一道鋸を入れては木目を見て、見えない五分、一寸中を予測し・・・面白かった物です。
 それが職工の勉強になり向上して言ったものなのです。

 丸太を四角くするだけの仕事に見えますが、丸太のそり具合、ひねり具合をきちんと見分けて、『台車・だいしゃ』と言われるトロッコ状の物に載せて固定し、木によっては一道挽いては留め金の「かすがい」を外して「そり」を逃がし、出てきた分を少しそぎ落とし・・・
 まさに生き物の丸太を真っ直ぐな四角の材木にすると言う職人技があったのです。
 ただ四角にするのなら、私でもどんどん出来ます。
 建物に入ってからそりが来ない、ひねって行かないように製材するのは簡単ではないのです。
 機械化が進み、一人での作業になって、効率は上がっても技術の向上には結びついていないようです。
 直径何インチの丸太からは、何センチの板と何センチの角材が取れる・・・なんて数学の世界と製材は違う部分がありますからね。
 それは、見て覚え、付いて教え、経験を積んで覚える物です。

 まあ、今の建築のように、木も見ないで寸法どおりに削りだし刻んで、無理やり金具で押さえつけて汲み上げる木造住宅ならとりあえずは家になるでしょうけどね。
 でも、はなから先が見えるようなものです。
 

 カメラはSONY α350+SIGMA10-20ズーム使用


熊野市周辺地図です


by je2luz | 2009-09-17 12:07 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : https://je2luz.exblog.jp/tb/10233942
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]


<< 熊野の旅 熊野の基幹産業 製材 2      熊野の旅 熊野古道・歩く道・松本峠 >>