熊野を代表する紳士がなくなられました。
世間では色眼鏡で見られがちな、日本共産党員、元熊野市議会議員と言う肩書きを持つ人です。
亡くなられたのは『伊藤 裕』さんです。
電電公社の労組をバックに市議会に出てこられて以来、まだまだ今より共産党が特殊扱いされていた時代だったのに、その人柄、物腰の柔らかさ、更にはスマートな身のこなしで個人的な人気を獲得して行った人です。
党利党略に走りがちな政党公認の議員さんなのに、根っからの市民派であったことも、その人気を支えていたようです。
お酒も好きでした。
良いお酒でしたね。
そんな時でも気配りをしながら・・・カラオケもおとなしい口調で歌う方でした。「ギンギラギンにさりげなくーーー」なんてのも唄っていましたね。それも、おとなしい口調で・・・
意外なことに、「芸者さん」も好きだったようです。視察先の足助(あすけ)でポケットマネーで呼んでくれたこともありました。
決していやらしいことをするではなし・・・騒ぐでもなし・・・
普通に話をしながらお酌をしてもらう・・・品の良いお座敷遊びでしたね。
おかげで、建前ではない本当の足助の感光の実態が聞けました。
野球が好きで・・・見るのではなく、するのが好きでした。
碁もかなりの物だったようですしね。
およそ普通の市民の持つ、「日本共産党」のイメージとは違う、本物の紳士風の人物でした。
熊野市では赤旗新聞などより、伊藤さんの方がずっと共産党に対する理解度を上げる貢献をしたでしょうね。
私より少し年も上で、満州からの引き上げを経験されたようです。
ものすごく厳しい体験をされたのですが、苦労を語ることもなかったですね。
引退後は腎臓病をわずらい透析を受ける暮らしでしたが、変わらずに紳士でした。
その、伊藤 裕さんもなくなられ、熊野から紳士が一人居なくなりました。
紳士などあまり居ない田舎町・・・今のご時世・・・又一歩、山猿の世界に近付くのかもしれません。
ご冥福をお祈りします。
ありがとうございました。
カメラは
ソニーα350+コシナ19-35ズーム
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