LUZの熊野古道案内

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2009年 08月 22日

熊野の旅 そうめんで思い出した・・・

 先日、8月16日の「古道通り夜市」の会場では、『流しそうめん』が行われていました。
 『浴衣を着てくればタダ!』と言う企画のようでした。
 以前に新出町の稲荷さんの夏祭りにも『浴衣を着てくればなんとやら』と言うのをやっていたように思います。
 私が子供の頃には、まだ、普段でも着物を着るご婦人が見かけられたのですが、もうそうした姿は見なくなりましたね。
 木本の町には呉服屋さんが何軒もあったものです。
 大店と言われる100年を越す店から、小さな店、浴衣程度を扱う店など随分あったように思います。
 今でも本町筋・いつの間にやら「古道通り」と言う名前が付いちゃった通りには、まだ、二軒の呉服屋さんが営業しています。
 ご当主さんは私と同じ世代ですね。
 両方とも頑張っているようです。

 普段にはすっかり見かけなくなった和服ですが、女の子はこうしたイベントの時には浴衣を着る娘がそこそこ見られます。
 しかし、活発に動きたい小学生から中学生の女の子は「甚平さん」を着ている子も多いです。
 先日来載せてきた女の子たちも四人揃って甚平さんでした。
 甚平さんでもそうめんはタダみたいでした。

 このそうめん流しの樋は山から切ってきた孟宗竹で、前日に毎度のことながらイベントの中心人物になる「丸田さん」が・・・
 『やってみたら、そうめんが引っかかる・・・』と、グラインダーで節を一つ一つ削っていた物です。
 少し焦げた所もあるのはご愛嬌でしょう。
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 「流しそうめん」を見て思い出したのですが、そうめんの本場、『桜井』と『熊野』は姉妹都市なんです。
 この南紀と桜井周辺の大和とは結構縁のあるところだったのです。
 大昔ではなく、近代に入って、田舎からよそに働きに出るようになった、明治、大正、昭和中期までは、この辺りから桜井を中心とする地域へ働きに行く人が多かったのです。
 山間部からは桜井の製材所に雇われてゆく人も多かったです。
 それにその北側の「丹波市・たんばいち」にも随分出て行ったようです。今は「丹波市」とかくと、平成の大合併で生まれた兵庫県の「たんばし」が創造されるようですが、古くは今の『天理市』の通称になるほどの知名だったのです。
 時代が変わると、もう「たんばいち」なんて読んでくれる人が居なくなってくるのでしょうね。

 そんな縁で、『熊野市』と『桜井市』は姉妹都市を結んでいます。
 最初の頃には『花火の物産展』などに、桜井市から「本場の三輪そうめん」を持って、「流しそうめん」などyりに来てくれていた物です。
 市長の応接室にはそうめんで作った『熊野市の市章』が飾ってあった物です。
 最近はどうなっているのやら・・・今の市長になって熊野市のマークもほんの少しデザインを変えましたしね。
 合併のご褒美で取り替えたのか、市庁舎の上にある「市章」も巨費をかけて新しい物に取り替えましたしね。取り替えたことに気づかない市民が大半でしょうけどね。
 
 姉妹都市を結んで四半世紀になるのでしょうかね。
 近いところなので、以前は議会の正副議長が代わると儀礼訪問などしていた物です。
 でも、昭和の中期頃以降は桜井方面に就職する人も居ないし、大量に住み着いて桜井で「飛鳥人会」だとか「御浜人会」などを組織し。大運動会をやり、桜井の市議会議員まで作り出した、この辺出身の人たちの一世も老齢化し、二世・三世の世代になってきました。
 熊野市の姉妹都市のひとつ、ブラジルの『バストス市』の日系人と同じような感じです。いや、それ以上に故郷感は無いようですから、姉妹都市の意味も薄れてゆくでしょうね。

 などと、そうめん一つで連想ゲーム的にいろんなことを思います。
 今の市長が結んだ姉妹都市の『ソレント』からなら、さしずめ『スパゲティ食べ放題』の催し物でも引っさげてきそうな物ですが・・・
 「ソレント」のとなりの「ソレルノ」で食べたスパゲティはおいしかったですが・・・
 夕食の店の「カンツォーネ」を歌う連中の歌の上手さは、この辺のカラオケ上手では勝てそうもなかったです。
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カメラはレチナIIIc

熊野市周辺地図です

by je2luz | 2009-08-22 10:37 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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