LUZの熊野古道案内

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2009年 08月 11日

熊野の旅 何でも抱き込む大都会

 紀州には古くからの温泉が沢山あります。
 南紀白浜+椿、勝浦+湯川、湯峰+川湯など隣接した温泉場が古くは湯治場として開け、近代になって観光地として栄えました。
 旅行が今のファミリー旅行ではなかった時代には、男どもが羽根を伸ばすための施設があったものです。
 ストリップ・射的場・・・そして、温泉芸者などです。

 近代になると南紀には色んなレジャー施設が誕生しました。
 「太地くじら博物館」「串本海中公園」「白浜アドベンチャーワールド」などに加え、「孫太郎」などという少し目的のはっきりしない物などです。

 そして、竹下さんの「故郷創生」とやらの一億円、二億円のばら撒き施策で最初の異変が起きました。
 火山列島なので少し深く掘れば地熱も上がるし、上がらなくても岩の間の水を引っ張り出せば何がしかの成分は溶け込んでいます。
 温度があれば『温泉』、なければ『冷泉』と呼ばれるものです。
 少し前までは1000mも掘るのは非常に難しかったのですが、竹下さんが金をばら撒いた頃には金さえあれば2000mでも・・・と言う時代になっていました。
 そこで、当時の3300の自治体の多くが「温泉掘り」にその金をつぎ込みました。
 かく言う私の所、熊野市も「新鹿」でボーリングをやり、少し低めで加熱の必要はあるのですが、『温泉』を掘り当てました。
 かくして、数百あるか無いかと言われた日本の温泉は2000を越すと言われるようになったのです。
 
 昭和40年代なら、温泉があれば観光地の端くれくらいには入りましたが、このときから、温泉はあって当たり前・・・となり「〇〇温泉」と言うのが客寄せにはあまりならなくなったのです。温泉が無いと「温泉も無いのお?」と言われる始末です。

 かくして、日本中温泉だらけになったと思ったら、それなら・・・とばかりに東京などでは都心にどんどんボーリングして『大江戸温泉村』なんて物を作りました。
 遠くまで行かなくても、温泉に入れるし、今のファミリーのほしそうな施設はそろえてあるし・・・交通費と時間が掛からないので、料金が少々高くても一日遊べます。
 と言うことで、近郊をあわせて2000万都民県民の温泉場行きを阻止しています。

 かつては南紀だ志摩だというような田舎の綺麗な海のあるところに存在した「水族館」も技術の進歩で水の汚い大阪湾のそばでもやれるようになり、田舎資本では思いも寄らない施設投資をして『海遊館』なんて物が出現しました。
 これらも足場が良く、気楽に出かけられます。
 かくして、綺麗な海の場所が独占してきた海辺の観光施設も大都会に吸収されました。

 「串本海中公園」などは、出来た時には『海の中を体験できる・・・』と評判を呼んだものですが、所詮は自然のままです。せいぜい少しばかりの餌で魚をつなぎとめるだけです。
 「じんべいざめ」が泳いでいる訳ではないし、イワシだっていつも大群で頭の上を泳ぐわけではありません。
 アトラクション性など今では感じられなくなっています。
 太地なども町の予算が逼迫していますから、大型水槽を作ることも出来ず、下手するとマニアが個人で持っている水槽より小さいのではないかと言う水槽もあります。

 かくして、田舎に出かけて味わっていた物が都会の中で手軽に得られるようになったのです。
 いかがわしい風俗も、「温泉場なら・・・」と、期待を抱かせたのですが、今では都会の方が一杯あります。

 田舎からの「お登りさん」はお金を使います。でも、都会からの「お下りさん」?はお金を使ってくれません。
 人口も政治もお金も・・・一極集中が進んでゆきますね。
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 カメラはRollei Flex Automat X

熊野市周辺地図です

by je2luz | 2009-08-11 10:52 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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