LUZの熊野古道案内

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2009年 07月 29日

熊野の旅 ドーナツ化現象は昔のこと

 「砂漠は生きている」なんて記録映画が昔ありました。ディズニーの製作だったかと思いますが、まだ、マクロ撮影なんてお目にかからなかった時代に鮮やかなカラーで撮った砂漠の生態がものすごく印象的でした。
 「町は生きている」とも言われました。「町」と言う物は古い時代は徐々に大きくなる物でしたが、近代になると成長速度が異常に早くなり、更には膨張に耐えられなくなるとその中心は移動してゆきました。
 これを『ドーナツ現象』と言いました。
 熊野のような田舎町でも、中心の木本町本町通りが古い町並みの商店街だったので、成長とともに手狭になり「記念通り」を増設し中心が移って行きました。
 そして、人口は増えなくても、核家族化が進むと古い町屋には住めないし、山間部、海岸線の跡取りも通勤と生活の不便さを嫌って中心部周辺に造成された新興住宅地に移り住みました。
 かくして。田舎の『ドーナツ』は真ん中から粉を集めるだけでは足りなくて、周辺の粉もどんどん集めて細ーい輪を作ったのです。

 隆盛を極めた「木本町」かくしてドーナツの原料を供給し続けましたが、元々狭くて小さな町ですからそれも長くは続きませんでした。
 と、言っても、大東京の千代田区ほどあっても町の動きで住民が激減したわけですけどね。まあ、そちらは代わりにビルが建ち、オフィスになって昼間人口は増えたんですね。
 しかし、田舎では人口移動は長男坊が家を出て「ドーナツの輪」になっただけで、出て行ったあとは「じじ・ばば」が残るだけだったのです。次男坊以下は都会のドーナツを作りに行きました。

 その動きが始まったのが、日本中の町同様、昭和30年代後半くらいからでした。つまり1960年ごろからとすると移動した若息子世代も早く出た人は80歳代、後れた人でも60歳代にはなっているということなのです。
 当然、残された親の世代は、もう、ほとんどお墓に入りました。そして、元の家の跡は空き地に・・・
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 これが、田舎の古い町並みの平均的傾向でしょう。
 こうして歩いているのは、「熊野市立木本小学校」の高学年の一クラスです。つまり、一学年です。
 まだ、団体に見えるだけましでしょうかね?
 かつては一学年250人といわれた学校の後輩たちです。

 冬は暖かいし、夏ももっと北のほうの名古屋だ大阪に比べると昼間で3度以上、夜には5度ほど涼しいですから過ごし良いところです。
 『台風銀座』といわれてきた紀伊半島南部ですが、地球の気候変動で台風の直撃が減っていますしね。
 ちょこっと庭に畑でもあれば、雪も降らないから年中野菜は作れるし・・・私など、街中でも庭の野菜で年中ほとんど野菜はまかなえています。

 土地が高く必然的に固定資産税や健康保険税などが恐ろしく高いことと、仕事場が無いことを除けば、住むには良いところなんですよ。
 働かなくて良い人、町中に家を買う気の無い人・・・つまり、『文化人』には向いているところです。ここには大して「文化」は無いですが、自分で「文化」を持ってきますからね。
 そうそう、この一体は「光ファイバー」が個人で使えるようになるのはいつか分からない状態ですが、CATVは結構山の中でも入っています。高速インターネットは一応使えます。近代文化からの隔離はされていませんよ。
 私は「文化人」では無いので少々退屈はします。その代わり「無精者」ですから、その退屈を感じる度合いは少ないのでしょうね。そして、ADSLでこうして遊んでいます。

熊野市周辺地図です

by je2luz | 2009-07-29 11:42 | 熊野 | Trackback | Comments(0)
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