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2020年 03月 11日
2011年3月11日 熊野の旅 今回、ここは大丈夫ですが… 宮城県沖の地震では大変なことになっていますね。 今日は議会があり、地震発生時は「平成23年度熊野市一般会計予算」の委員会審議中でした。 地震の一報が事務局から入り、その後でサイレンが鳴り、さらには「津波警報」になりました。 委員会審議を打ち切って散会し、私も家に帰りました。 私の家は海に面しているので「東南海地震」だとあまり安心できない所です。 今回の津波予報が2mと言うことなので一応大丈夫レベルです。 二階に上がり、海の観察をしていると4時15分頃でしょうか、600mほど離れた鬼ヶ城の磯に若干の潮位の異常が見られました。 私の目では50~60cm程度に見えましたが、発表では80cmだったとか… 帯状に押し寄せるような津波ではなく、じわじわと上がってゆく感じでしたが、磯の濡れ具合で分かりましたね。 二波までの時間も短かったですが、その程度で収まりました。 買い物に出ようとしたら、隣のモスバーガーは営業を中止していました。 そして、海から離れているスーパーオークワ熊野店も買い物中に閉店を通告されました。 こうした店舗では、きちんと「警報」に対応しているようです。 しかし、海岸を走る国道42号線などでは何の変化もありませんでした。 いつもそうなのですが、地震も警報も完全になめられているようです。 ![]() 震源がまっすぐ先でも、遠ければ変化するのに、今回は房総半島と伊豆諸島を回ってくるので本当にどの湾が高くなるやら… 今回はどうたら被害が出るまでは無いようです。 どうも、私が生きているうちに「東南海地震」が起きそうです。 困ったものです。 おまけに、こればっかりは聞かれても何時なのかは分かるはずも無し…おまけに、対策は…『とりあえず逃げてね』としか言えないのですからね。 「他には…」と、言われても、「津波」に関しては人力で逆らえる部分なんて余りありませんからね。 最近でも、「インドネシア」「中国」「ニュージーランド」など日本のプレートに関係ある所での大地震があるのにねえ… 自分が潰されるまで他人事らしいです。 これがその日の記事です。 房総半島、伊豆七島などがガードしてくれたらしくこの辺での潮位変化はわずかでした。 漁船は一斉に起き出ししました、 でも、リアス式区域でも津波避難はほとんどなかったようです。 高波警報、大雨洪水警報でも避難しませんね。 この辺でも、「昭和東海地震」「伊勢湾台風」「大夫12号関連水害」「紀伊半島水害」などたくさんの災害が起きたのですが、ほとんどが忘れられています。 怖いこと、苦しいこと、痛いこと… 忘れられるから生きられるとも言いますが… #
by je2luz
| 2020-03-11 04:25
| 熊野
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2020年 03月 10日
紀伊半島をネックレスのようにぐるりと回っているのが、鉄路では「紀勢本線」、道路では「国道42号線」です。 鉄道の方は明治以来少し図と伸ばされてきて、大阪方面からは「紀伊木本駅」までが戦前に完成し、「紀勢西線」と呼ばれました。 名古屋方面からは亀山から南下し、伊勢に向かう参宮線とは「相可口」で別れて尾鷲を過ぎ「三木里」までが出来ていました。 不通区間の工事は戦争もあって放置されていましたが、戦後に再開され1959年(昭和34年)に繋がり、紀勢本背が完成したのです。 全通と同時に「紀伊木本駅」が「熊野市駅」と改称されました。 そしてこの区間は約6割がトンネルです。 トンネル内は温度変化が少ないということで、当時としては珍しく長尺の線路がつかわれ「ガタン・ゴトン」と言う列車独特の音がほとんどしませんでした。 蒸気機関車が常識だった時代ですが、新宮から亀山方面に向かう区間は「煤煙」が出ないということで「ジーゼル機関車」が導入されました。 紀勢東線時代でも、尾鷲から大内山までにはトンネルが多くて、膝には石炭の粉が積もるし、臭いし、駅弁は「ごま塩弁当」になったのですから、熊野市駅ー尾鷲間のトンネルが加わったら、機関士が窒息したでしょう。 こうして、待ちわびていた鉄路が繋がったのですが、開通以来、ずっと赤字路線です。 鉄道の廃線の嵐が拭き上げたときには「紀伊半島をぐるりと回れ鉄路だから…」ということでなんとか生き延びました。 国鉄分割では和歌山ー新宮は西日本旅客鉄道に、鵜殿ー亀山は東海旅客鉄道と、分離されました。 西日本側は電化され、東海側は無電化で残されました。 会社は違うし、車両も共通性がないし… ダイヤも乗り継ぎなどまともに出来ていまいし… まあ、この路線を通しで乗る客なんて居ませんけどね。 紀勢東線側はジーゼル機関車の引っ張る客車の急行・夜行寝台からジーゼル特急・急行になり、「ワイドビュー南紀」が投入されてきましたが、30年ほど経って新型が入ることに鳴ったようです。 前の記事の「HC85・ハイブリッド」です。 バッテリーを積んでいるので発射時などではエンジン音が軽減され、ブレーキングのときには電車同様発電するようです。 線路脇で写真を撮っていて分かるほどのことはなかったです。 写真は3月8日の試運転HC85が熊野市駅の到着した直後です。 走行中の写真を撮ってから5分ほどですが、乗務員の方が乗り換えて、ヘッドライトが点いていた下り方面先頭車がテールランプの赤に変わっています。 ということは、熊野市駅で折り返し、新宮までは行かないということです。 新宮駅は西日本旅客鉄道です。 熊野川の鉄橋の真ん中辺で会社が変わりますから試験車両もここで折り返すのでしょう。 色んなことで会社が違うことがネックになることもあります。 電気も電話も行政も… #
by je2luz
| 2020-03-10 04:25
| 熊野
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2020年 03月 09日
ここの紀勢本線を走っている「特急・ワイドビュー南紀」は「キハ85系」と言う気動車です。 この車両はJR東海にとっては気動車の幹線列車として高山本線の「特急・ワイドビューひだ」と同じものです。当初から同じものを使ってきましたが、ここに来てキハ85系が老朽化してきたので新型を投入することになったそうです。 今度のは「HC85系」というもので、ジーゼルとバッテリーのハイブリットだそうです。 型番は私など親しんできた「キハ」「モハ」などといういろはではなくなるようです。 新幹線ネドは「N700」なんてのですからいろはは古いのでしょう。 燃費は良くなるのかと思いますが重くて高価なバッテリーを積んでいるので車両は高いのでしょうね。 本格導入は2022年の予定だそうです。 新型特急車両ですが、今流行りの「ななつ星」や「四季島」「瑞風」なんかとは違う普通の特急用車両です。 現行のワイドビューは上りと下りの頭が違います。 下りの先頭は連蹴るしても通路が取れない構造です。 この車両は中央が開くので連かつできますが、通路の「ホロ」はどうなるのでしょう? 頭の上にもテールランプがあります。 自動車じゃ無いから追突は無いはずですけどね。 昨年秋に発表されていたのですが、ようやく、紀勢線にも試作車両がテストランに来始めたようです。 ハイブリと新造車両でe最高速度120Km/hだそうです。 以前に時間短縮の時、線路を改良してあるので一部区間では出せるのでしょうね。 それでも劇的に速くなることはないでしょう。 #
by je2luz
| 2020-03-09 04:25
| 熊野
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2020年 03月 08日
言葉って人類の進化・進歩に大きく役立ったのだそうです。 他の生物にも意思の伝達手段はあるようですが、我々の「言葉」とはかなり違うので理解できないようです。 学者によっては「犬や猫には人間の言葉がわからない」と言いますが、そんなことはないでしょう。 同じような音域を使う「音」による伝達ですからね。 音の出せない、「脳」すらない植物でも連絡が取れている節もあるようですからね。 こんなに大事な「言葉」だし、地球上に広がった人類がみんな使っているのにバラバラなんですね。 人類がアフリカから出発して地球上全部に広がる間にな訛りも出るし、新しい事もできてくるからバラバラになったのでしょう。 でも、ものすごく不便になっちゃいましたね。 だんだん交流範囲が広くなり地球が狭くなっても統一できませんね。 世界をどれだけ抑えているかということで「共通語」としてその国のが使われることもあります。 エジプト弁、ギリシャ弁・ローマ弁・長安弁・広東弁・蒙古弁・英国弁・スペイン弁・ポルトガル弁… 日本弁も一時期は大陸から南洋まで広がったこともあります。 これでは不便だからって「エスペラント語」なんて乗っは発明されたこともあります。 姉が高恋時代くらいに少しやってました。 「ジ エスタス ローゾー」「Thie is a rose」かな??? 1880年代に開発されて「国際語」を目指したようですがもう一つうまく行かなかったようです。 それどころか、日本語でもバラバラですね、 沖縄・九州・四国・中国・関西・中京・関東・東北なんて大きな区分どころではないですね。 昔の国・藩で超然違います。 不便だからって都ではそれなりに共通言葉もあったようです。 そして、明治維新当時には訳のわからん浪士が集まって相談?謀議?しなくてはならないのでそこでも共通弁が出来たり…「僕」なんてのがその頃出来たとか… 学校教育が広がると「共通語」を作ろうとし、戦後は「標準語」を普及させようとしましたね。 でも、なかなかうまくは行きません。 まあ、標準語がそこそこ広がったのは、テレビが普及してからでしょうね。 最近の子供が使う「標準語」のイントネーションがかなり自然になりました。 以前は、語尾の「ねー」がやたらと耳に付きましたね。 #
by je2luz
| 2020-03-08 04:20
| 熊野
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2020年 03月 07日
「広報くまの・3月号」が来ました。 取り立てて大きな記事がなかったのか、「オープンガーデン」が表紙を含め5ページ占めています。 もう、20回目だそうで20件あまりの作家があるようです。 参加している家の花畑が開放されて見て回れるというものです。 国道脇の歩道にも花壇が作られていますから、花壇には熱心です。 何しろ、海外へ視察団を出すくらいですから…(褒めているのか嫌味か…) 私も花づくりをしていたので花は好きですし、花を育てるのは良いことだとは思います。 でも、「花壇づくり」でよく見られる、「盛のときに抜き捨てて更新する」と言う方法は嫌いです。 「盛りを過ぎたら捨てる」 本当に花が好きなら出来ないでしょう。 人の動き 令和二年二月一日現在 人口 16.667 (-23) 男 7.672 (-12) 女 8.995 (-11) 世帯数 8.821 ( -8) コンスタントにマイナスが続きます。 生まれるのが100人を切ってきましたから増えることはありえません。 国全体でも大幅減が想定より早く始まっていますが、来年頭頃からはもっと減るでしょう。 丙午でも減りますが「新型コロナ」は確実に子供を減らすでしょう。 乳幼児の病気ではないけど男女が「仲良く」出来ませんからね。 向かい合って喋ってもいけないと言われたら… 同じ皿の料理を突っついても駄目だって… #
by je2luz
| 2020-03-07 17:41
| 熊野
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2020年 03月 06日
ここの沖は黒潮の流れる「熊野灘」です。 「灘」は字のごとく「サンズイ偏に難しい」ですから、よく荒れる難しい海です。 黒潮もすぐ目の前を流れていることが多いですし、流れも秒速2m=7.2km/hにもなります。 日本では「灘」のつく海の難所がいくつかありますが、その中でも難所とされて、旧海軍の軍艦乗りでも嫌がったそうです。 ややこしい島がたくさんあるでもなし、岸により過ぎなければ挫傷はないはずですが、昔から難破が多発したようです。 古くは「秦の徐福」や「神武東征軍」などです。 更に古い時代からは琉球など南方から流れ着いた人も居たでしょう。 黒潮本流があるから船はあまり沖を航行できないので海賊「多蛾丸」の餌食にもなったのでしょう。 奥熊野代官所の記録でも、「異人の船が難破し、みんなが見に出かけた」なんてあるようです。 トルコの軍艦の串本での遭難は有名ですが、難しそうにない阿田和でも岩礁にぶつかった遭難が記録されています。 明治9年(1877)には出来たばかりの日本海軍の「軍艦・雲揚」が阿田和で挫傷しています。 供養碑は紀南病院の敷地にあります。 その辺では、1968年に貨物船「第三千代川丸」が沈没しましたが、この船のエンジンがビキニ岩礁で被爆した「第五福竜丸」のものだったので引き上げられ、福竜丸の船体と一緒に東京で保管されています。 新しいところでは市木川河口で座礁転覆した「フェリーありあけ」ですね。 荷崩れが原因でわざと挫傷させたようですが、手が届くくらいの場所で座礁しました。 その前には、居眠り運転とかで井田の浜にまっすぐ乗り上げた貨物船もいました。 尾呂志川、市木川、志原川の河口には岩礁はありますが、本当に手が届くくらいの場所でぶつけるのが難しいくらいなのですが、潮の流れとか台風の風だとかで岸に押し付けられるのでしょうね。 浜が浅くて座礁しちゃうのではありません。 荒れていないときは「太平洋」で安らかに見えるんですけどね。
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by je2luz
| 2020-03-06 04:25
| 熊野
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2020年 03月 05日
浜痩せ、「海岸侵食」が目立ちだしたのは最下流の木本海岸、配置議会ガンあたりでした。 そして、鵜殿港が出来て井田海岸が一気に喰われました。 最上流と最下流が目立って痩せました 中流も痩せたり太ったりを繰り返しながら徐々に喰われていったのです。 阿田和にCCZ(コースタル・コミュニティー・ゾーン)と言う計画で、ヤシの木公園やピネが作られ、沖合に人工リーフが作られたときは浜が少し太りました。 この人工リーフは大きな天然石を投入してかなり沖合に岩礁を作ったのです。 浜を太らせ、波を收めて荒波で遊ぶことも出来ない七里御浜を改良しようというものでした。 効果ですか? ほんの短期間浜が太りましたが、沖合に投入した大石群は黒潮に長され、崩れたようで効果が消えてゆきました。 阿田和の浜には人工プールが作られましたが、大磯のように人が集まるはずもなし、地元の子供も減ってしまうし…やめちゃいました。 何人覚えているでしょうね。 「ヤシの木公園」の他に松原にも「化粧の森公園」?とやらが県が作りました。 この公園や海岸に出るために、大きな歩道橋が作られましたが、浜に出る人もなく、公園に遊びに行く人も居ないので使われることの少ないものです。 海岸で潮風が強いのでさびがすすみ、老朽化が進んだので、先年大修理をしました。 「リス公園」は廃止され、目下「宿泊施設」に変身中です。 このように御浜町のCCZは今となっては当初の計画がわから無くなっています。 商業施設のピネは何とか動いていますが併設の会場などはあまり使われていないようです、 阿田和は七里御浜の中間点です。 ここでは「尾呂志川」が海に注いでいます。 先年の紀伊半島水害のときにはこの川も暴れました。 ここに来て、この尾呂志川の河口、阿田和の浜が急に痩せ始めました。 大敷の網を広げる場所も足りなくなりそうです。 かなり深刻な状況だと思われます。 河口付近の山路口では山が海に入り込んだ岩礁がありますが、その辺で波が国道に上がる事態も起きています。 潜堤と新堤防で「木本の町は50年守れると」と思ったのですが、この様子だと、そこまで保たないように思えます。 七里御浜20Km全部、潜堤で囲うと2000億円を越します。 私の代では潜堤は木本だけしか出来ませんでした。 地上の堤防は一応繋がりましたが、七里御浜が消えるとその堤防の基礎から喰われます。 後を継ぐ人が上流方向で頑張ってください。 #
by je2luz
| 2020-03-05 04:25
| 熊野
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2020年 03月 04日
海にたどり着いても、邪魔物の鵜殿港の前を横切れる砂利はかなり減るようです。 あまり向かわなかった新宮大浜の方に行くのもあるようですが、上流からの援軍も少ないし・・・ すぐ下流の井田海岸は鵜殿港が出来てくると、すぐに大きく痩せました。 北側の岸壁のところには岩が現れ、砂利浜が姿を消し始めました。 ほんんの数年でした。 そして、井田の町中を通る旧国道と新しい国道が合流する辺りで波が超えるに至りました。 木本堤防を波が超えたのと同様、台風の波ではなく大きなうねりのようなときに超えました。 災害にはなりませんでしたが、元は砂利浜があって地引網の和船が並んでいたところの浜が消えかけた時期です。 その頃から井田海岸への高波対策と養浜工事が行われてきましたが、「一向に効き目がない」どころか、痩せる速度が大きくなっています。 随分手をかけて植えた松林も地面ごと削られて消えかけています。 ここに来て、木本海岸で効果がはっきりした「潜堤」の構築にかかるようです。 潜堤は効果がありますが、海の中の工事でコストが高いです。 木本海岸の600mほどで、60億円ほど掛かったはずです。 テトラポッドの一見目立つやつはあまり養浜には役立ちませんからね。 それと、井田海岸は鵜殿港の突き出し部分が邪魔をするので、河口から出る砂利、土石が直ぐ側の潜堤の内側に入るかどうかもちょっと疑問があります。 そして、私が怖いのはこの現実です。 ダム問題から海岸侵食問題にずっと関わってきて居ますが、私の要るのは最下流です。 一連のこの記事も次回で一応一段落しそうです。 きれいな山と川、そしてきれいな海のことを書くのに楽しいことがないのが、一つの現実なのです。 でも、こんな面もあることは知っておいてほしいのです。 海岸侵食に関し、40年ほどやってもちっとも本質部分では進みません出した。 #
by je2luz
| 2020-03-04 04:28
| 熊野
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2020年 03月 03日
紀伊山地からはるばる旅をして熊野川の砂利採取をもかいくぐって河口まで来た砂利たちには、その先にも障害物があります。 新宮の河口は熊野灘の荒波で河口閉塞が起き良いです。 まあ、それが良い方に利用されて、戦後しばらくまでは「貯木場」が作られて、川を下ってきた筏を引き込んでいました。 鵜殿駅前は製材所と貯木場だったのです。 今でもその名残で製材所は残っています。 かつての鵜殿駅は紀州製紙のパルプ材や薬品、製品の積み下ろしと、製材品の積み出しで賑わっていたのです。 今は一般車両はバイパスを通って素通りですから寂しくなっていますね。 筏がなくなり貯木場も埋め立てられたのですが、その後に作られた「鵜殿港」が構造的に大きな問題なのです。 河口に作る港は皮の部分に作られることが多いのですが、河口閉塞を起こす熊野川では海から川へ船を入れにくいということで、突堤と堤防で港を浜の外側につくる、「突き出し港」を作ったのです。 その結果、流れ出す砂利が黒潮の下流方向…七里御浜に向かわずに深みに劣るのが多くなったのです。 私が議員になった頃には運用を開始していて、すでに、井田海岸に影響が出始めていました。 時の熊野市長、坪田誠さんに「なんで止めなかったんですか!」と迫ったのですが… 「隣の自治体なら同意も求められるけど、離れているので意見も言えなかった、良くないんだけどな。」とのことでした。 鵜殿港は小さな港で、大型船の入れない漁港クラスです。 その割に地元に及ぼす害は巨大です。 #
by je2luz
| 2020-03-03 09:30
| 熊野
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2020年 03月 02日
仏様ってそれぞれ役割を割り振られているようですね。 それに仏様って階級もあります。 大きく分けても、「如来」「菩薩」「明王」「天」その他もあるようです。 今の時代、そんなことお構いなしに檀家寺や有名なお寺にお参りして本尊様関係なく色んなお願いをしているようです。 仏様だからいいものの、お役所だったら門前払かたらい回しでしょう。 ★如来の部 仏像 ご利益 釈迦如来悟りを開かせる。 薬師如来病気平癒(とりわけ眼病)・身体健全・除病延寿・災難除去・現世利益 阿弥陀如来敬愛 重病人の延命祈願 極楽往生 現世安穏 戌年生まれ、亥年生まれ十二支守り本尊 毘盧舎那如来全ての仏尊のご利益の本源 大日如来一切成仏。 現世安穏 所願成就 未年生まれ、申年生まれ十二支守り本尊 阿閃如来病気平癒 ★菩薩の部 仏像 ご利益 聖観音除災。臨終には極楽から 迎えにきてくれる 十一面観音除災、除疫。あらゆる方向からの願いを聞き入れる 千手観音敬愛、除病、破地獄(地獄からの救済) 不空羂索観音難事成就、美容 如意輪観音福徳、良縁、子授け、安産 馬頭観音畜類救済、息災、降伏 准胝観音安産、延命、夫婦和合、聡明 文殊菩薩知恵、学問 普賢菩薩滅罪 勢至菩薩家内安全、除災招福 虚空蔵菩薩記憶力増強、福徳、知恵、学問。仏智悟入 地蔵菩薩子授け、子育て、滅罪。夜明け直前に拝むとご利益があると言われている。 弥勒菩薩未来を救済する。 衆生救済・極楽往生 日光菩薩病気平癒・身体健全・除病延寿・災難除去 薬師如来を信仰する者を守護 日光菩薩は病根を焼くとされる。 月光菩薩病気平癒・身体健全・除病延寿・災難除去 薬師如来を信仰する者を守護 月光菩薩は苦熱を除くとされる 薬王菩薩病気平癒・身体健全・除病延寿 薬をもって病苦から救う。 薬上菩薩病気平癒・身体健全・除病延寿 薬をもって病苦から救う。 菩薩様まででこれだけあります。 ご利益も同じようなのがあります。 それに、如来様や観世音菩薩様などは単独でお祀りされていることが多いですが、他の菩薩様は如来様の脇仏になっていることも多いです。 御本尊様を無視してそっちを拝むのもちょっとおかしな感じですね。 今回の新型コロナ型ウィルス肺炎対策なら、「薬師如来」がわかり良いですが、「盧遮那如来」「阿閃如来」も受け持ちですね。 菩薩様なら、「十一面観音」「千手観音」「日光菩薩」「月光菩薩」「薬王菩薩」「薬上菩薩」 辺りですね。 薬師様は「楊枝薬師」に祀られています。有名なお寺では「法隆寺」「唐招提寺」「薬師寺」などです、 観音様は西国三十三箇所のお寺に祀られていますが、「那智山青岸渡寺」は「如意輪観音」です。 「千手観音」なら、紀三井寺・粉河寺・壺阪寺・道成寺…三十三間堂なら一杯居られますからお願いしようかも知れません。 「十一面観音」は長谷寺 このあたりが分かり良いでしょう。 仏様には「宗派」はありませんからね。 高野山には色んな仏様が祀られ居ますから、探せば色んなご利益がもらえるかも知れません。 かくいう私は「仏頼み」はしない方です。 高野山に行っても、奥の院で何も考えずに手だけ合わせてきますから、空海さんも「わからんやつじゃ」と言われておられるかも知れません。 おまけに真言宗の信者でもないし… バカボンパパなら… 「わしには難しいことはわからないのだ!」 「これでいいのだーー」と言うでしょう。 #
by je2luz
| 2020-03-02 04:25
| 旅 番外編
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2020年 03月 01日
今から800年ほど前、都から熊野へ通われた天皇(法皇)がおられました。 後白河法皇(1127年~1192年)です。 34年政に関わり34回熊野詣をしたそうです。 源平の争い「平治の乱」などに絡んだ天皇です。 だいたい、熊野詣にうつつを抜かすようですから政治家としてはどうであったのでしょうね? この法皇は頭痛持ちだったそうで、その平癒を願って熊野川のほとりに薬師様を祀ったら治ったのだそうです。 それが紀和町の「楊枝薬師」です。 お寺の名前を「頭痛山平癒寺」なんて… こんな田舎で熊野川のこちら側と言う不便なところなのに、800年経ってもご利益を頼って3月のお祭りには大勢に方がお参りします。 私も何度かでかけましたが「ご祈祷」など受けてこない、「不信心者」です。 楊枝薬師まつり 2020 日程: 3 月 17 日( 火 ) 時間:(祈祷)8時00分頃~15時頃 (随時受付) (もちほり)14時頃 場所: 楊枝薬師堂(紀和町楊枝) 【会場周辺地図】楊枝薬師堂 http://yahoo.jp/OscaKD お問い合わせ: 電話:0735-44-0202 内容: 熊野市紀和町にある楊枝(ようじ)薬師堂で年1度の大祭「楊枝薬師まつり」が行われます。 楊枝薬師は永暦(1,160年)の頃、後白河法皇が頭痛を治されたという伝承から、「頭痛山平癒寺」と号されるようになりました。頭痛をはじめとして目・耳・喉・首など頭部の病にご利益があると言われています。 由緒ある薬師様ですが、お寺ではなく「お堂」です。 熊野川のほとりで一段高い用地の上に建てられています。 川のカーブの内側なので意外と無事に済むことが多いようです。 このお堂の蕎麦には七体の地蔵様がおられます。 なぜ七体なのかはわかりません。 今は国道から見れば川の反対側で不便なところですが、更に昔は川沿いでそんなに不便でもなかったのでしょう。 800年も昔に法皇ゆかりのお堂があるくらいですからね。 行かれるなら、国道168号線日足から三和大橋を渡り上流に向かうか、紀和町板屋の選鉱所跡の前から山に入り「明倫小学校跡」を見物して熊野川にぶつかったら上流に向かうか… 山道嫌いなら168号線でしょうね。 駐車場はなんとかなると思います。 #
by je2luz
| 2020-03-01 04:22
| 熊野
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2020年 02月 29日
3月になります。 2月は梅、3月は桜…花見の季節にもなります。 桃は果樹園とかで鑑賞させてもらえないのか「桃見」って無いですね。 「小船の梅まつり」と「小森の桜まつり」は出来なくなった? 「花見」はゴザと重箱と酒があれば出来るのですが、「まつり」となると主催者が居て出店や舞台やらの設営が必要なので、地域の過疎高齢化が進むとできなくなりますね。 でも、「まつり」にして会場を作ってくれないと個人がゴザをしける場所って殆ど無いですね。 所有者、管理者の居ない土地って殆どありませんからね。 公園だって本来許可がいります。 それに、使う側にはゴミすら持って帰らない不届き者も多いですしね。 役所絡みのイベントは中止発表が増えているようです。 今の所、神川の桜のイベントは中止になっていないようです。 神川町 「桜覧会」さくらんかい 2020 日程: 3 月 29 日( 日 ) 時間:10:00~22:00ごろまで 場所: 旧神上中学校(熊野市神川町) お問い合わせ: ・お申し込み(3月15日まで) 神川企画 田中代表 電話:090-7485-3040 内容: 2017年30周年を迎えた「桜まつり」をリニューアルし、「花見を楽しむ」を基本コンセプトに、「桜覧会(さくらんかい)」を今年も開催します。 地域でやっていた「神川さくらまつり」が出来なくなって、「神川企画」と言う団体が行うようになって3年か4年かですね。 桜も池原もやっていますし、イベントとしても大変でしょう。 「花見=酒」と言う概念からすると「どぶろく祭」同様、「飲んだら乗るな」の時代は遠隔地の花見は酒飲み向きでは無くなってますね。 公共交通機関はないし、シャトルバス出すほど金は使ってくれないし… #
by je2luz
| 2020-02-29 04:25
| 熊野
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2020年 02月 28日
医療・衛生に関しては、この辺は辺地なので、橋龍の行革時代に統合の嵐が吹いた「保健所」は業務縮小しながらも残されています。 だから、今回の「新型コロナウィルス肺炎」の問い合わせ先は地元のが生きています。 でも、相談先はあっても本当に対応できる病院は無さそうです。 このウィルスは今の所、治療薬が出来ていないので、既存の薬が合うかどうかの試験台みたいです。 そして、肺炎が起きたら酸素吸入とかの普通の処置だそうです。 感染を広げるという問題以外はこれらの病院でも処置可能なんですね。 でも、院内感染が起きたら他の患者さんの行く先がないです。 おまけにこの3つの病院の受け持ち館内は超高齢化地域です。 ここまで来るといくら年齢が高くても、きちんと治療しないと国家の威信に関わるでしょう。 国は保険会計が大変だから病床を減らそうと動き出しました。 この辺は地形や人口分布の関係で、今回の廃止対象病院には入っていません。 救急指定・災害中核としては、南海トラフ地震の津波が襲来する地域ですが、この3つの病院は高台にあり、一応津波は来ないはずです。 しかし、対応できない疾患、手の出ない医療があります。 建物が揃っても医師が配置できていない部分があります。 3つの病院は「県」「地方」を超えて提携を結んでいますが、国の制度から見ると、県が違うだけではなく、「東海」と「近畿」と言う大きな境界を挟んでいます。 この目に見えない境界線は結構厄介なものです。 昔の国境みたいなところがあります。 新宮は新宮藩で熊野や尾鷲は紀州藩でしたが、元は一つの親戚の藩でした。 廃藩置県以後の再編成で熊野川に境界ができてしまい、明治ー大正ー昭和ー平成ー令和と時代が変わっても色んな面で邪魔なものです。 それでも、それより前から繋がっていた人と人の縁が大事かもしれません。 #
by je2luz
| 2020-02-28 04:25
| 雑感
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2020年 02月 27日
「病院」と言っても色々あります。 国立の感染症やガンを専門とする超高度な医療を施せる病院から、小さい個人病院まであり、その診療内容や設備も千差万別です。 このところ話題になっていたのが「病院の廃統合」ですね。 地方の過疎化や高度医療のための施設や医師不足で旧来の公立病院が維持できなくなってきていることもあるのです。 この辺では「尾鷲総合病院」「紀南病院」「新宮市立医療センター」の3つが南紀の医療を支えています。 これらの病院のカバーするのは広域なのですが見込み客数?は12万人くらいでしょう。 一つの市だとしても大きくないのですが、荷坂から潮岬まで… 私は「紀南病院組合議会」に所属していたこともあります。 当然のように南牟婁郡の町と熊野市の補助金なしでは成り立たない病院です。 本館の新築でほぼ建物は揃ったのですが、昔と違い、医療機器が無いと診察も治療も出来なくなっています。 「中核病院」と言う「厚生労働省」の言うものではありません。 「救急病院」「災害拠点病院」等という指定は受けていますが、「感染症」などに対する備えも手薄です。 まあ、これに備える「減圧診察室」「減圧隔離病棟」「専門医」「医療機器」を用意して待機することは、今の病院の経営状態と医療制度では無理ですね。 ビニールで作った簡易型の隔離ブースも出来ているようですが、全く普及していないそうです。 いつ使うかわからないものを準備するだけの資力は各病院、持ち合わせはないです。 今回のウィルス騒動ではっきりしてきたのが、「医療機関での感染防除の手薄さ」ですね。 厚生労働省の職員が感染するし、分離確認もしないで職場に戻すし︙ これが「専門家」というのでは、もっと怖い伝染病が発生したら??? 医療関係の職場で、ウィルル対策で働いた職員に、「バイキン!」などと言って差別することが起きているんだそうですね。 教育現場、神戸の小学校でも呆れますが、医療の現場がそんなことではとてもじゃないが一般国民は救われませんね。 #
by je2luz
| 2020-02-27 04:25
| 熊野
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2020年 02月 26日
新型コロナウィルスの感染源・宿主は「こうもり」ではないかと言われていましたが、「センザンコウ」と言う動物を経由して人間に感染ったのではないかと言われだしました。 全身が毛が変化した「うろこ」で覆われている妙ちきりんな動物です。 中国では肉が食用、鱗が薬用にされているのだそうです。 本来売ってはいけないとか言われますが、例によって精肉ではなく生きたままで売られているのでしょう。 アルマジロに似ていますが別物だそうです。 昔からの「犬」でも「狂犬病・ジステンパー」があり、狂犬病は非常に危ないので予防注射が義務付けられてきました。 日本は安全でも海外で感染した例もありましたね。 「猫」では「トキソプラズマ」があり、妊婦には良くないと言われます。 「鳥」には「鳥インフル」 「豚」は「日本脳炎」 「ミドリザル」は「エイズ」 「ねずみ」「フェレット」「かめ」「トカゲ」は何を持ってくるのでしょう? 何でもありの日本に鳴ってしまいました。 動物園ならいざ知れず、一般家庭まで入り込むことは危険以外の他にメリットはないでしょう。 どうしてこうなっちゃったのでしょう? 「ワシントン条約」に違反したものがどんどん入っているようです。 定役違反でない動物類の輸入を禁止しても貿易摩擦にはならないでしょう。 片方では「ビーフジャーキー」まで禁止しているのにねえ… 「根っこの付いた植物」もうるさいですよね。 #
by je2luz
| 2020-02-26 04:25
| 雑感
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2020年 02月 25日
ダムというものの扱いはややこしいものです。 もともと、国策で立案され、そのために作られた組織に譲り渡され、天下りの温床でもあったのですから、アンタッチャブルな部分が多いのです。 水力発電の基本は「水」です。 そのために「水利権」というものがあり、ダム流域の「水・雨水」は全部ダムの権利者にあります。 例外は農業用水と元々使ってきた飲料水くらいなのです。 こうした経緯は、熊野市議会に作った「熊野川水系対策特別委員会」での活動で「電源開発」と接触・交渉して嫌というほど経験しました。 池原ダムや七色ダムの水利権更新、平成5年(1993) 「熊野川水系対策特別委員会」平成元年5月(1989)設置 1963年(昭和38年)からの30年ですが、法改正で期限が50年に伸びましたから、次は2043年です。 地元の発言権も元は市町村長にあったのですが、県知事だけに減らされました。 「下々がうるさいから…」ということですが、水利権交渉が始まる前の国会で予め可決されていました。 さすが「国策」です。 この委員会で勉強始めて最初に電源開発から言われたのは… 「流域の水は根本的に私達のものですから…」 「補償問題は無期限に解決しています」 と、言う事でした。 熊野市がまだ大きくなることを夢見た頃、水資源の確保に大又川を飛鳥町小阪で分水し大泊宮川に流そうとしたことも断られていました。 いろんな団体などとの補償交渉の経過や契約書に関しては、市役所の移転改築の後でもセイrされずに保管されていたので同級だった職員と延々と調べました。 議会の委員会のメモまで残っていましたから、今の政府の答弁よりよくわかりました。 明らかに便乗で金を取りに行った団体もありましたが、どの交渉も、「孫末代まで文句は言いません」と言う決着でした。 電源開発には残されていても、こちら側にはもう残っていないでしょう。 建設前の今で言う環境アセスメントで委託された東京農大の教授が「ダムを作れば明治の大洪水などで蓄えられている砂利が流下しないので将来的には七里御浜が痩せる」と言うことを低減したのですが、当然のように役職を外されたようです。 このレポートは「鵜殿村」に残されていたのですが、それも、もう失われたでしょうね。 色んな歴史的な¥こともありますが、砂利の流下を止めたのがダムですが、更にその下流では和歌山県が熊野川での砂利の採取を許可しました。 洪水が減ったので川床が上がり気味にはなるのですが、補充のない砂利を毎日毎日採取して砕石を作り続けていました。 これも、クレームをつけようにも隣の県の権限ですからどうしようもなかったです。 当時は「ダムと浜が痩せることの因果関係」を建設省が認めていませんでしたしね。 建設省にも噛みつきましたが… 浜が痩せるということを書き始めるとこのようにきりがないのです。 おまけに、そのダムを「エネルギー源としては要らない」などと国が言い出していましたからややこしいです。 #
by je2luz
| 2020-02-25 04:25
| 熊野
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2020年 02月 24日
七里御浜の砂利について書いてきましたが、崩れ、削られて北山川、十津川のしりゅう・本流を流れ下る砂利達の前に立ちふさがったのが、「吉野熊野総合開発」のダム群です。 砂防ダムも防災上の理由で沢山作られましたが、砂防を乗り越えても本流のダムは越えられません。 ダム群には砂利を放流することは考えられていません。 そもそも、このルウ域のダムは「発電ダム」で洪水調節など考えたものではないですからね。 十二号台風の後で放流方法など地元自治体に通知する道は開けましたが、「水の一滴まで我が社の財産」という姿勢は変わっていないでしょう。 ダムは段々埋まって行き、貯水力も落ちるのですが、この流域は大井川流域とかほどは埋まっていないようです。 一度造ったダムは取り壊すことは無いです。 アメリカなどでは自然を取り戻すためにダムを壊す例もあるようですけどね。 なぜ、こんなのを書くかというと、「ダムの水利権更新」の時。熊野市議会に「熊野川水系対策特別委員会」を設置して、経緯の調査と電源開発との交渉を行ったことがあるからです。 その経緯は又の機会にしますが、「国策」の怖さを見せつけられました。 作る前の「熊野原発」は止められても、「出来上がったダム」には手が出せませんでした。 「勤務評定」「安保闘争」「砂川基地」「百里基地」「成田闘争」「原発闘争」 国家権力との争いを色々見てきました。 これらは「闘争」ですから目に見えました。 「吉野熊野総合開発」の過程でも地元と国とのせめぎあいがあったのですが、学生や労働組合の介入がなく静かに押し切られたようです。 しかし、その内容は「水利権更新」と言うことで表に出てきました。 「特別委員会」を組織して「電源開発関西支社」まで乗り込んでも、全く手の出ない「完璧な権利放棄」の契約でした。 「契約書をご覧になったかと思いますが、私共は改めて補償交渉をする必要はございません。」 「七里御浜の砂利減少とダムの因果関係は、国も認めていません。」 「まあ、ゼロ回答というわけにはゆきませんからできる限りのことはさせていただきます。」 まあ、そんな内容でした。 それが国家権力と国策事業だということを見せつけられました。 思想の右左に関係なく国と国民の関係はこうなるのでしょう。 ダムはこんな事も教えてくれました。 #
by je2luz
| 2020-02-24 04:25
| 熊野
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2020年 02月 23日
だんだん丸くなりながら下りますから、中流以降は丸くなります。 新宮で海に出てからも休みなく打ち寄せる波に揺られながら黒潮の下流方向に流れ下ります。 叔母峰を出てから… 矢の川を出てから… 釈迦ヶ岳を出てから… 一体、何回の洪水と何年の年月をかけて新宮まで流れ下るしょうね? 昔は邪魔者が居ないのでみんな流れ下り、一部は深い海に落ちていったりしたのでしょう。 深海に落ちてゆけば、もう流されることもなく身をすり減らすこともないはずなのですが、海底の地すべりがあったりプレートも潜り込みに巻き込まれてすり潰されたり… 長い年月には地殻変動でいきなり陸地になったりするのでしょうね。 日本の国歌には… 「さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで」なんてありますしね。 御浜小石は「さざれ石」ですね。 この辺ではこれが押し固められた岩はありませんね。 田辺方面には少しあるようです。 押しつぶされて「礫岩」になることもなく旅を続けたのが「御浜小石」なのです。 でも、道中には色んな邪魔者を人間が作ったのです。 その中には、砂利にも迷惑、人間にも迷惑というものもあります。 #
by je2luz
| 2020-02-23 04:25
| 熊野
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2020年 02月 22日
七里御浜は熊野川と黒潮が作り上げた砂利浜です。 と言うことなので、熊野川について書かないと始まりません。 熊野川水系は日本一雨の多いところの川で、急峻な紀伊山地、吉野山地を流れるので、洪水の多い川でした。 歴史に残るのは1889年(明治22年8月)の大洪水です。 この大洪水では河原にあった「本宮大社」がながされ、その後は今のように山の中腹に再建されました。 元の場所は「大齋原」として大鳥居がそびえています。 そしてこの大洪水では十津川村が壊滅状態になり十津川郷6か村で、12862人中162人死亡、1/4が全半壊、2691名が北海道二移住、「新十津川村」が出来たのです。 それと同等な洪水が2011年(平成23年)台風12号です。 これは紀伊半島南部をズタズタにして、テレビでも放送され記憶に新しいところです。 たった120年ほどで二度も壊滅するほど暴れる山と川なのです。 この明治の大洪水の土砂が七里御浜を育てるのに大きな働きがあったという学者もいました。 毎年繰り返す洪水によって押し出される砂利がすが作り上げてきたのは間違いないのd、「吉野熊野総合開発」のダム建設で流下しなくなったのですから、痩せて当然なのです。 急峻で流域はそんなに広くないのにこれだけのダムを築いてずたずたにしたのです。 谷底に点在した集落の多くが水没しました。 逆に水没補償金を目当てに移住してきた人たちもいました。 七色ダムでは五郷に淡水魚の養殖池を作って住み着いた人たちがいましたが、この頃には補償対象から外すようになり、思惑が外れたようです。 池原ダムの地元では土建業が一気に増えました。 ダム建設が終わってからもその業者を食わせるために公共事業が大量に行われましたが、過疎は止まりませんでした。 道路はつけ直され良くなりましたが、清流は消え、天然の鮎も鰻も遡上しなくなりました。 それを理由に「漁業組合」が作られて補償金をせしめましたが、もともと、川漁師など居なかったところですからうまくゆきませんでした。 ダム建設の技術者や労務者で一時的には過果物現場周辺は賑わいましたがほんの短期間でした。 何より、「総合開発」等という薔薇色の夢を誘うような計画に見せながら、吉野熊野地域に開発の計画などありませんでした。 まあ、原発や基地同様だまし討だったのです。 #
by je2luz
| 2020-02-22 04:25
| 熊野
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2020年 02月 21日
![]() #
by je2luz
| 2020-02-21 04:25
| 雑感
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2020年 02月 20日
![]() 浜は、昭和32年(1957)頃の馬留下の井戸川河口付近では写真のような斜面ができるほど砂利があったのです。 人物は私ですし、セミ判ですからカメラは「ウエルタ・ペルレ」です。 赤ん坊ではなく中学生がこんな風にみえるるほどだったのです。 この浜が「吉野熊野総合開発」というやつで、北山川・十津川にダムを造ってから急速に痩せたのです。 戦後の復興に電気が欲しいので、地元には「総合開発」という、中身の無い夢を見させて川をせき止め、集落を沈めていったのです。 アメリカの「テネシー川総合開発公社・TVA」をお手本にしたものだそうです。 出来た電気は京阪神から中京地区に送電し、復興には役立ちましたが、この流域から集落が消え、見る見る間に最下流の七里御浜が痩せたのです。 儲かったのは「電源開発」「関西電力」だけでしょうね。 このような国策会社が水利権も召し上げて日本中の川を殺していった会社です。 その一つが「熊野川・十津川」だったのです。 それに便乗した地元民や団体も居たようですけどね。 #
by je2luz
| 2020-02-20 04:20
| 熊野
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2020年 02月 19日
七里御浜に関連するのは、紀伊山地の山塊とそこから流れ出る川と黒潮の流れと波でしょう。 浜で目につくのは休みなく打ち寄せる波と、波打ち際から陸に続く砂利浜です。 波は地球に海が出来てから休みなく動いているのでしょう。 そして、紀伊半島が姿を見せた頃から打ち寄せて、岩を削り砂利を運んでいたのでしょう。 今の時代の紀伊半島には火山がありませんが、昔々には大きな火山があり、カルデラがあったんだそうです。 今湧いている温泉はその火山と造山運動の名残なんだとか… 九州や箱根の温泉とは様子が違いますからね。 その紀伊半島の南東部に出来たのが七里御浜でここだけが長い弓なりの海岸線になりきれいな砂利浜になっています。 海の直ぐ側まで山が迫っているのでリアス式っぽくなるはずなのですが、紀伊山地に降った雨が海に出られなくて山中をさまよって、一本の熊野川となり海に注いだからこんな浜を育てたのでしょう。 熊野川は大又川・北山川と十津川を集めて居ますが、流域が広いので周りの岩質も様々です。 「赤白抹茶、あがりコーヒー、ゆず桜…青柳ういろう」 七里御浜には青柳ういろうに負けないほど色んな色の石が混じっています。 私が子供の頃には太古から流れ出た石がそのままだったのですが、今は、ダムが出来てからの影響で石の量も大きさも種類も減った気がします。 大又川などは花崗岩らしいですが、神川には黒色粘板岩・那智黒石、育生町には赤い石もあります。 北山川上流は破砕帯とか、下流の一部では真っ白な石もあったように思いますし、入鹿の山には銅鉱や金鉱、マンガン鉱も含まれています。。 十津川像は蛇紋岩とかいろいろみたいですし… 実に色んな岩のあるところを削りながら流れてくるので、青柳ういろうみたいに色んな色が揃うのでしょう。 木本の浜まで来ると大量に出たはずの大又川流域の花崗岩は砕けで砂になってしまうのか見かけられません。 七里御浜ではこの浜石を拾う仕事がありました。 「御浜小石」という名で、随分出荷されていたのです。 砂利を採取する許可を得た業者さんも羽振りがよかったものなんです。 浜に座って一つ一つ丁寧に拾い、袋に詰めて堤防まで運び上げるアルバイトのおばさん(おばやん)もたくさんいました。 今から30年ほど前からこの風景はなくなりましたね。 今では拾い集めるような砂利も殆ど無いです。 #
by je2luz
| 2020-02-19 04:26
| 熊野
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2020年 02月 18日
日本列島では海岸侵食が進んでいます。 と言っても、正しくない面もあるでしょう。 片方ではプレートのおしくらまんじゅうで隆起もしていますからね。 そして、砂浜、砂利浜もなかったものが出来てきて、時代によって太ったり痩せたいしています。 紀伊半島も定期的に浮いたり沈んだりしているようです。 鬼ヶ城も1000万年前に火山がつくった石英粗面岩が何度もの大地震で隆起してきたものだそうです。 鬼ヶ城や獅子岩だけが隆起するはずもなし、七里御浜の地盤も隆起して、そこに熊野川が押し出した砂利が溜まったものでしょう。 膨大な量の砂利が20Kmに及ぶ防波堤が出来て背後に湿地帯を作ったようです。 何千年、何万年、自然が営々と積み上げてきた砂利浜も、戦後復興のための電力を作るために「熊野川総合開発」というダム工事で砂利、土砂の供給が途絶えて急速に痩せ始めました。 最下流の木本海岸は潜堤を構築して砂利が深みに落ちてゆくのを防いで少し太りましたが、かつての面影は戻せません。 そのすぐ上流の獅子岩前、花の窟前などはやせ衰えています。 そちらからの砂利補給があってこそ木本海岸も保てるのです。 そして、そのさらに上流は??? 背後の紀伊山地の地質にも関係ありますね。 ということで… この七里御浜の課題は少し長くなるので何回かの連載になります。 #
by je2luz
| 2020-02-18 04:25
| 熊野
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2020年 02月 17日
日本の海岸を護ってきたのは「松原」でした。 潮風に強く、痩せ地にも耐える、背も高くなるなど、護岸と防風を兼ねるには最適の樹木でしょう。 ことに、砂浜・砂利浜の海岸には松を植えてきました。 「七里御浜」はその典型です。 七里御浜の砂利は白くないのですが、「白砂青松」という光景らしい眺めでした。 「でした」というのは、戦後進んだ「松枯れ」と「堤防」で景色が変わってしまいますた。 木本は私が子供の頃に、すでに松は数本だけになってなり、井戸の松原もほぼ消えていました。 それでも、有馬松原から先はずっと松林だったのです。 高校になる頃には歯抜けだらけになり、井田海岸・井田舞子などは植え直しされました。 それ以降も、「営林署」が消毒しても効果がほとんど泣く松林は消えてゆきました。 有馬堤防沿いには補植した松が育ってきていますが、「松林」にはまだなっていません。 この「有馬松原」も江戸時代から営々と手入れを積み重ねて立派な松原にしたのでしょう。 国道に面した側の松はほぼ全滅しましたが、堤防が無かった区間と、堤防を作って空き地が出来た所に植えられた松はなんとか生き延びていますが、樹齢が高くなると枯れるのでしょうね。 何十年も前から、「松食い虫に強い松を開発する」なんてかけ声が聞こえたのですが、実用化しなかったのか、植える側が載らなかったのか??? この写真は令和のものです。
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by je2luz
| 2020-02-17 04:25
| 旅 番外編
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2020年 02月 16日
庭木・盆栽・松山・松原… 伐採してからも、建築材・松明・松炭… これほど身の回りにおいてきた樹木はないでしょう。 松は油分が多いのでその特性を生かした使い方がされることも多かったです。 「松明」や「お盆の迎え火・送り火」などは油分の多さで使われています。 戦時中は「松根油」なんて油を取るために松の杭を根っこから保入り起こしたようです。 一般にはあまり知られていませんが、護岸の石垣の基礎に使われています。 松丸太の白身を削り赤身だけにした「しゃり」を水中に沈めた上に石垣を組んだのがあります。 明治とかに作られたものが今でも生きているようで石垣が崩れていません。 松の赤身は「縁甲板」にも使われています。 固くて油があるので狂いがなければ良い建材です。 松は「炭」に焼かれますが、あまり硬くないので一般のコンロなどには使い良いものです。 火持ちは「椿」「樫」には勝てませんし、「ウバメガシ」の備長炭の足元にも及びませんが、軽くて空洞があるので、フイゴで風を送ると鉄が溶ける1300℃まででも温度が上がります。 純度も高く。玉鋼の製造、日本刀を生み出したようです。 使う方でも生活の中に沢山取り込んでいますし、それほど身近で大切なものだからか、地名・名字・名前にもいっぱい使われていますね。 地名なら、松山・松江・松原・小松・小松原・高松・下松… 名字は地名と同じのが多いですが、これも一体いくつあるのやら… 屋号にも松坂屋・松屋なんて百貨店があるくらいです。 名前にも、松太郎・松之介・松男・松子・まつ・・・ やっぱり日本人は「松」が好きなんですね。 最後の地引き網船が残されていて、松も少し残って居ましたが、その後も少しずつ松食い虫の顔で切り倒されました。 松林に地引き網・・・ 日本の原風景なんですけどね。 #
by je2luz
| 2020-02-16 04:25
| 雑感
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2020年 02月 15日
昔々、医学は中国に学びました。 江戸時代になりオランダに学びました。 そして近代になってドイツから学びました。 その時代時代に日本人はそれを学んで応用し改良したようです。 近代では色んな人が研究し、いろんな病気の原因を発見し、治療法開発に貢献し、ジアスターゼなども見つけました。 基礎研究や応用部門で頑張ってきたのですが、この先の力の低下が心配されているようです。 今の政権下では、大学や研究所の予算が大幅カットされつつあるようです。 まあ、おかしな小学校や大学校の設立には依怙贔屓しようとしたようですけどね。 まあ、それは置いておくとして… 今回の「COVID-19」新型コロナウィルスの検査薬… 政府は「量産せよ」と号令をかけ、「ウィルス分離成功」などと報道させていましたが、未だに日本の製薬会社は対応できないようです。 そこで、ドイツから緊急に10000人分の試薬が送られてきたようです。 でも。そのニュースはちょっと伏せ気味みたいです。 試験用の機械も同様でしょう。 厚生省の役人が絡むので民間でできることもブレーキかけているのかもしれませんね。 そんなに許認可権にすがりたいのでしょうか? それが生きがいと思う体質が出来上がっているのでしょうね。 まさか・・・ 「許可を出していない」なんて、停止しないでしょうね。 検査対象の締め付けも異常でしたからね。 こんなお役人が取り仕切っているところで「COVID-19」が広がったらどうなるのでしょう? 手遅れの連続??? いろんな薬や対処療法にもブレーキをかけかねません。 ウィルスが死亡率上昇方向に変異する前に抑えないと… #
by je2luz
| 2020-02-15 04:24
| 雑感
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2020年 02月 14日
熊野市は不動産価格、土地評価価格の高い町でした。 人口は合併直後から減少を続けているのに、土地の値段だけは上がり続けました。 それを喜ぶ市民も結構多かったですね。 もっと便利で大きな街の松坂などより高めだったこともあります。 確かに平野が少ないのは確かですが、工場を誘致できるほどの土地もなく、道路事情も良くないし、港もありません。 売買も殆どないのに評価だけ高く、その評価を見て「金持ちになった気分」になる市民も結構居たということです。 平成になり全国的に価格が下がりだすと熊野も下がり始めましたが、土地神話を信じる向きは変わりませんでした。 まあ、最たるものは「熊野市役所」でしょうね。 前に書いたように、駅前の土産物屋を古い建物付きで坪30万年も出して買収したのです。 実勢は取引は不調で、「もろうても要らん!」と言われる場所が多く、空き家・相続放置物件がどんどん増えています。 空き家率は平成25年で27.6%で尾鷲を抑えて三重県一です。 この統計から7年経っていますから、数字はうんと上昇しているでしょう。 三軒に一軒は空き家という数字ですが実際はもっと上でしょう. 田舎の家の売買や賃貸しを斡旋しようという取り組みやサイトがあります。 そういうもので熊野市の物件を覗いてみると、少しだけ登録されていますが、「高い評価」に慣らされてきたからか、高いものも見かけられます。 海岸線の集落は平地がないのでかなり高いところでしたが、今では生活しにくい街の構造です。 そうした所で希望売却価格1000万円なんてのも見かけられます。 100万円で高いのか安いのか… 賃貸で月2万円…一年24万円、5年で120万円、10年240万円です。 この場合固定資産税とか不要ですし、法的には大きな修理は家主負担です。 こうなると、家主はやって行けませんね。 人に住んでもらえば家は長持ちしますが、今の情勢だと、その家を残す必要があるのかどうか… 家の改築費補助とか転入者援助とか全国の自治体が勧誘に必死ですが、そもそもパイが小さく縮みだしていますからね。 廃墟の写真は載せられますが、空き家は差し障りがあるみたいなので載せません。 適当に写真撮ったら1/3は空き家なんですけどね。 私が育った実家の集落など半分が空き家になっちゃいました。 #
by je2luz
| 2020-02-14 04:25
| 熊野
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2020年 02月 13日
「しらす鰻」が豊漁なんだそうです。 突然捕れだしたけど原因は不明だそうです。 ここでは井戸川河口が閉塞しているので近年は「シラスウナギ漁」は壊滅みたいです。 育った川に戻ると言われていますが、こんなときはどうするのでしょうね? 泊まりの宮川にするとか新宮の熊野川にするとか??? マリアナとかから流れてくるくらいだから20Km暗い変更するのはありなのでしょうか? 天然遡上して大人になる鰻を確保しないと資源は戻りませんからね。 「ハマチ養殖」で稚魚を取りすぎて、回遊するハマチもブリも激減させたことがありますよね。 鰻もずっとそれをやってきています。 それを言うのはタブーみたいです。 国際機関から「絶滅の危機」と言われても動かない… 水産庁って何なんでしょう? 漁連が強い??? 農協に農林省が押しまくられたのと同じ? #
by je2luz
| 2020-02-13 04:25
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2020年 02月 12日
熊野市波田須町には「徐福の宮」というものがあります。 神社までも行かない小さなものですが、昔から地元では大切にされてきたようです。 大きな楠の古木があるだけで屋敷跡でもない山の斜面にぽつんとあるのです。 故郷が見える高台でもなし… それdも大事に祀られてきたようです。 この辺では隣の新宮市に「徐福の墓」と言われるものがあります。 新宮駅の前に中国風の公園があり石碑もあります。 この公園の建物などは華僑の方々が寄進したとか聞きます。 新宮と言えば「神武東征」の舞台でもあります。 同じく、熊野では二木島も「神武東征」の伝承があります。 その時期は今が皇紀2680年ですから、2700年ほど前で、縄文時代から弥生にかけてでしょう。 徐福は秦の始皇帝時代で2200年ほど前だとすると時代がずれていますが。皇紀の方はかなり曖昧ですからね。 秦の時代の技術集団を帯同した徐福遠征隊の足跡が消えているのはなぜなんでしょう。 徐福本人は新宮で亡くなったにしても、技術の伝授とかは??? 熊野の神々との関わりは? 入鹿や那智の鉱山は見つけなかったの? 縄文人ではなく秦国人は文字を持った民族だったのに… 日本側の歴史はずっと後で書かれた「古事記」「日本書紀」ですからねえ… 私のような野次馬は単純に考えますが、学者は? 神道系の人は神々の系統には熱心ですが神話を疑わないようですし、戦前には疑うことも不敬なことでしたしね。 考古学者は神話を馬鹿にするようですし… 徐福さんが中国に帰還していれば、手柄話を盛ったとしても、もう少し日本の古代史が詳しくなっていたでしょうね。 日本で歴史をまとめるときには、渡来人の世話になったことは隠すでしょうしね。 大和民族、天孫民族渡来説はタブーみたいですし… 琉球・熊襲・隼人・出雲・蝦夷・大和の関係は蝦夷以外は触れられませんね。 縄文・弥生の人種の違いより微妙みたいです。 80年前にこんな事を書いていたらえらいことになったかもしれません。 今でも目くじら立てる陣営があるようですね。 #
by je2luz
| 2020-02-12 04:25
| 熊野
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2020年 02月 11日
主は鬼ヶ城 雄々しき姿 わたしゃ焦がれて 散る女波 徐福偲んで 書きたる文字の 岩に不老の 苔がむす これは「木本節」の歌詞です。 歌は昭和2年に作られた新しいものです。 「秦の徐福」に関しては、あまりにも昔過ぎて記録が残されていないようです。 秦の始皇帝が「不老長寿の妙薬」を探してこいと3000人もの大軍団を送り出したのは間違いないようで、言い伝えは朝鮮半島から日本列島各地までいっぱい残っているようです。 伝承が残る場所は… 青森県北津軽郡小泊村 秋田県男鹿市 山口県豊浦郡北町 熊毛郡上関町 福岡県筑紫野市 八女市 佐賀県 杵島郡山内町 伊万里市 武雄市 佐賀郡諸富町・富士町 佐賀市 鹿児島県 坊津町 串木野市 屋久島 種子島 宮崎県 延岡市 宮崎市 神奈川県 藤沢市 山梨県 富士吉田市 河口湖町 山中湖村 静岡県 清水市 愛知県 小坂井町 熱田区 和歌山県 新宮市 高知県 佐川町 土佐市 須崎市 広島県 宮島町 三重県 熊野市波田須 こんなところが主な所らしいです。 まあ、中国から出港して流れ着く場所としては考えられるところですね。 それに「白髪三千丈」の国の話にしても、三千人もの団体ですから、あちこちに流れ着いてもおかしくないし、捜し物していたのですから日本中うろついてもおかしくないですね。 でも、この中では「熊野市波田須」は確からしいと言われているようです。 なんだか「古銭」も発掘されたとか聞きますしね。 もう一つ… 「徐福」は中国に帰らないで日本に住み着いたとか… そして「秦」を名乗ったそうです。 「波田須」は「秦住む」から来たんだとか言われます。 これもなかなかの説ですね。 しかし、疑問も感じます。 技術集団を引き連れた徐福さん達が流れ着いたにしても、波田須はいかにも狭すぎますね。 隠れ里程度しか流れ着かなかった? 本体とはぐれた? まあ、縄文・弥生なんて時代の話ですからね。 「始皇帝」はそこそこ人気はありますが、「徐福」はあまり知名度がないようです。 もう少し具体的な話が残っていれば、壮大な冒険ドラマになるでしょうけどね。 すぐそばの新宮市の徐福伝説には次に触れます。 #
by je2luz
| 2020-02-11 04:25
| 熊野
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