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2012年 05月 16日
山はすっかり新緑になり、天気が良いと暑いくらいになりました。 こうなると、山では「破竹」の季節です。 一緒くたに「破竹」と呼んでいますが、多分色んな品種があるのでしょうね。 何しろ、この辺では、孟宗竹の「タケノコ」と河原竹以外は全部「破竹」と呼んでいるようです。 孟宗竹の「タケノコ」に比べると「えぐみ」が少ないので食べよいです。 それに、採るときも根っこまで掘り起こす「タケノコ」にくらべ、鎌で刈り取ってくる「ハチク」の方が楽です。 昔は田植えには「ハチクの炊いたの」が付き物でした。 「ゴンパチ」も出ましたね。 水に晒して置いたやつです。 この頃には「スルメイカ」の産卵が終わって、少し大きくなった「サラタケ」が出てきます。 大きさは4寸から5寸がおいしいのです。 「赤いか」なんてのも出ていますが、食べる物が違うのか「ワタ」の味が全く違います。 ワタが嫌いで全部抜いちゃう人だとほとんど違いが無いのかも知れませんが、丸まま茹でて丸まま食べる人には全く違う代物です。 「本鮪」と「水鮪」の違いですね。 「松阪牛」と「オージービーフ」の違いくらいはあります。 いや、それ以上の違いでしょうね。 今年はまだ「サラタケ」も「ハチク」も食べていません。 山の中を走ればハチクは見かけるでしょうね。 採っても叱られないところまで行けば良いのですが無精ですから… 今年は「ゴンパチ」も採りませんでしたしね。 庭にも生えてくるのですが食べられるような太いのでは無いし… 棕櫚竹では食べられそうに無いし… せめて「サラタケ」でもかってきて食べないと季節感がありません。 大きすぎても駄目、小さすぎても駄目・・・ ちょうど良いのがおいしいのです。 当たり前なのですが、中々この「ちょうど良い」のが並ばないのです。 ![]() 2012年 05月 15日
来週の金環日食の観察に適したベルトゾーンに熊野が入っています。 天気が良ければ完全な形の金環日食が見えることになっています。 大阪とかにように少しずれるとほとんど掛けるとは言え「部分日食」でリングがずれて仕舞うようです。 朝七時台で東の空、仰角30度の部分が晴れていれば良いのですが… 長期予報ではあまり芳しくないですね。 熊野から東の方向は海になります。 仰角30度だと余程山際で無い限りお日様は出ているはずです。 朝起きさえすればどこででも見られるでしょう。 子供の頃に部分日食だったと思いますが、日食があり、今では駄目だと言われている、「ガラスにすすを付けたもの」で見ました。 そして、「木漏れ日」が「針穴写真機」の働きをして庭中に三日月のようなお日様が写っているのも見ました。 観察用の眼鏡などを買っていない人は肉眼で直接見ないで地面などに写った太陽を見た方が良いでしょう。 写真機に使うのでは無いですから、黒い紙にでも適当に穴を開けたもので壁などに映して見るのもありでしょう。 せっかくだから「写真にしたい」と思う人も居るでしょうけど、直接撮ることは不可能です。 ND10000なんて真っ黒なフィルターを用意しないといけませんし、それを掛けてもカメラを傷めることがあります。 そして、ファインダーで直接見るなんて自殺行為です。 太陽ってものすごく明るいですから… デジタルカメラでやると、受光素子を破壊することもあり得ます。 そんな時も木漏れ日で出来た太陽の像を撮れば大丈夫です。 これも、「天気が良ければ…」の話ですけどね。 太陽は大きいですが遠いです。 お月様と同じ大きさ位だから金環日食が起きるのです。 高倍率のズームを一杯望遠側にしてもようやくそれらしくなるだけです。 そうした高倍率ズームの付いたコンパクトデジタルカメラではフィルターが付けられない物が多いですね。 私は一応撮影できるようにしてありますが、NIKON D800Eは使いません。 傷めくないですし、長い玉を持っていませんからね。 出番はα350の方です。 こちらはAPS-Cに200mmで使うと35mm換算で320mm望遠になるので一寸だけましになります。 見られるかどうか判らないのにテレコンバータなんて買う気になりませんしね。 と言うことで… 時間帯から言って、出勤前に観察できる人が多いでしょう。 呉々もお目々とカメラを壊さないように気をつけてください。 ![]() ![]() 熊野市周辺地図です 2012年 05月 14日
台風12号の被害箇所の復旧工事はどんどん発注され工事が進行中です。 と言っても、全部が完成するのは再来年になると予想されています。 最後まで掛かるのは、県道七色峡線…井戸町瀬戸ー神川間です。 仮の道路を作るにも谷を渡って仮設道路を新設しもう一度橋を架けて戻ってくるしか無いところですから。 川では無く谷に近い、渓谷のような部分で道が無くなったのですから難工事になります。 元々「大峪・おおさこ林道」と言われた道ですから林道だったのです。 途中で分かれて育生町に向かうのは「一の水林道」という名で今でも林道です。 集落間を結ぶ生活道路でも復旧にこれだけ掛かります。 熊野の山は険しいです。 この「大峪」のあちこちで山が崩れ井戸川に大量の流木と土砂を押し出してきました。 その結果、橋ごとに引っかかるし、出口のカルバートにも引っかかり、果ては鉄道の鉄橋を落下させました。 うまく流れなくなった水は溢れて右岸も左岸も水浸しになり全域で床上・床下浸水を起こしました。 水が引いたときには町中は泥が一杯、川沿いの道路は崩れたり流木で埋まったりで通れないし、橋は流木でバリケードを築いたような状態でした。 町中の泥と大きな流木はどけられましたが、河床が2mほど上がってしまい、川の断面積がうんと小さくなっていました。 「災害復旧」では中々河床の掘削はやってくれないのですが、この井戸川の場合は12号ほどで無くても溢れる可能性があるので、緊急で掘り下げてくれることになりました。 すでに工事に掛かっています。 あそこに居た「鯉」もあたふたしているでしょうね。 幅30m深さ1.5m長さ2000mとして…90.000立米ですか… 結構な量ですね。 綺麗な砂ですが仮置きするには多すぎますね。 1立米ほどなら私も欲しいですけどね。 今年の台風シーズンまでにはこうした工事は終われる予定です。 河川の工事って、土地は国のものだから簡単にやれると思いがちですが、川によっては「漁業権」があってこの季節のような鮎のシーズンには出来ないなんて事もあるのです。 井戸川にはそんなものはありませんが、そのまま海に注ぐ川ですから、海の方の漁業権者との話し合いが必要になります。 目の前の地引き網は潜堤工事の時に買い上げたので無くなっていますが、沿岸の漁業権は漁協が持っています。 有償になるにしろ無償になるにしろ話し合いは必要なのです。 魚って匂いに敏感ですから、余分な濁りなどで回遊路が変わりますからね。 台風の濁りは自然ですが人工的に長期間濁らせるのは漁業者を脅かすこともあります。 河床の掘り下げは無事に着工しています。 根本的には河口カルバートの排水トンネルの増設と言うことですが、急遽ボーリングが開始されています。 県土木がやる気を起こしたと言うことでしょう。 ただ・・・ かなりの予算が必要ですし、国道を横断するのも大変な話です。 まあ、国道は鉄道よりは話が通りよいです。 それでも、少しばかり時間と地元の熱意と協力が必要でしょう。 もう一つの鉄橋の方は橋杭を減らすことも桁を上げることもかなり難しそうです。 駅構内になってくるので線路を1m上げるには熊野市駅も1m上げないといけなくなります。 まさか、「跳ね上げ橋」にする事も出来ませんしね。 ![]() ![]() 熊野市周辺地図です 2012年 05月 13日
日本の百姓は農耕が始まってからずっと災害との戦いだったでしょう。 「瑞穂の国」であり、大陸方面に比べ「水」には恵まれてきました。 そんな日本でも、その「水」に泣かされることも度々でした。 「干ばつ」なんてのも幾度となく起きていますね。 今で言う「空梅雨」ですね。 稲作中心なので、冬のからから天気、春先の乾燥はまだましですが、梅雨時に水が無いようでは水稲は実りませんからね。 干ばつは十年とか二十年とかごとに廻ってきたようです。 今では、灌漑施設が良くなったし、「ポンプ」なんて近代兵器もあるので少々の雨不足は「凶作」にならないで済んでいるようです。 稲作の方は耐えられる日照りでも、山の斜面に広がる「ミカン畑」は大変な騒ぎになります。 毎年のように水不足が騒がれますが、ミカン畑に灌漑施設を作るほどミカン農家は儲かっていません。 日照りの時には夜中中掛かって川から水を運んで居ます。 水が不足していたかと思うと、一度前線が活発化したり台風が襲ってくると今度は「洪水」になります。 雨が多く、雨に強いこの地方でも、400mmとかを越えてくると危なくなります。 昨年の台風12号などは山間部で1200mmを越えるような降り方をしました。 他所の一年分くらいですが、これも五日も一週間もかかって降れば何とかなるはずの地形です。 平野が無いので川は急流で短時間で海に出て行きますからね。 しかし、あの降り方では… こんな風に「水で生きながら水に泣かされる」のが百姓ですね。 去年の大災害も水田関係の復旧を優先させたので今年の作付けに何とか間に合ったところが多いです。 しかし、手の付けようのない農地も一杯でました。 昔と違い、田圃の岸で個人のものは災害復旧から外されるようになっては放置せざるを得ないものも出ます。 さらに砂や石が入り込んだ農地の復旧も個人の負担が必要な部分もあります。 そして… 一番ネックなのは、高齢化と後継者不在の問題です。 まともな農地でさえ荒れようかという時代です。 ことに山間部の効率の悪い耕地はなおさらです。 70才を超してきたお百姓さんに、「農地を復旧して、もう一度頑張れ!」と、言っても気力も財力もありません。 荒れ田は見かけだけ直してもまともな収穫は望めませんし、水田には戻りません。 残念ながら、そのように再起不能になる農地が市内各地で見かけられます。 今でも「河原」になっちゃった水田が惨めな姿をさらしています。 砂と石ころだけになってしまい、しばらくは雑草すら生えない状態ですからね。 そして、そうした農地のある地域では少しずつ廃屋も増えて行くのです。 「田舎で暮らそう」・・・「空き家の利用」…なんてレベルの話では無いですね。 日本の人口が8000万人になる頃、日本には「田舎」も無くなるのかも知れません。 山田・段々畑などは学者や文化人の言う「農地集約」の対象になりません。 千枚田なんてのも、「観光」と言う名の保護行政で残っているだけなんです。 あと20年もすれば… 熊野でも山間部には人が居なくなるでしょう。 日本の田舎が自然に帰っちゃうのでしょうね。 でも、その日本の自然は数百年前から手を加えて維持してきたものなのです。 人の手を離れて、バランスが取れるようになるまで、数百年は下流域の平野部でも災害が多発するでしょう。 悪いことに「南方型」の豪雨が増えるはずですしね。 でも・・・ 上流の方は町からは見えないんですよね。 ![]() ![]() 熊野市周辺地図です 2012年 05月 12日
今は田植えシーズンです。 昔に比べると一ヶ月ほど早いです。 稲作は言うなれば梅雨の恵みを利用し、台風の風と雨と戦うものでした。 用水路の改良、取水堤の改良などで、梅雨前にでも水が確保できるようになると、台風までに収穫できるように品種改良と育苗方法の改良を続け段々早くなりましたね。 最初の頃には雪国がやるように「炭の粉」を吸温剤に使って苗代の温度を上げようとしたりしていました。 ビニールが出てくると田圃に張って温度を上げたり… 田植機が出てくると機械に掛けよいのと温度管理なども楽なので「箱」で育てるようになりました。 最初は庭にビニールトンネルを作って… 次には灯油で加温する立派な箱を買って… 今では「苗代」という物がほとんど無くなりましたね。 苗代は一番先に水が張られ整地されたのですが、これが無くなると「蛙」などが困るはずなのです。 しかし、作付けが早くなって居るので田圃全部の耕耘作業が早くなって居るので大丈夫なようです。 蛙が困っているのは虫が減って餌が不足することくらいでしょう。 追いかけ回すガキは居ませんけどね。 稲の丈も短くなっています。 稲が長いと風で倒される率も多くなるので、今のはかなり短いですね。 随分前になりますが、稲の丈が短くなったことが問題になったことがあります。 「畳床」が作れなくなったのです。 左右から重ねても真ん中が薄くなっちゃうのです。 今では全部が稲藁の「本床」の畳が減っていますから大量の稲藁も要らなくなっているでしょう。 でも、たしか朝鮮とかから輸入していたはずです。 縄も藁草履もお櫃の保温カバーもほとんど使わなくなったので農家自体は藁を使うことがほとんど無いですね。 稲刈りの時刈り取った稲を束ねるのは前の年の稲藁だったのですが、今では機械用のロープですしね。 筵を使った仕事がブルーシートに変わったり… 来週は「丸山千枚田」の田植えです。 オーナー制度でオーナーになられている人たちがやって来ます。 カメラマンもやって来ます。 一般車両は完全に遮断されてしまいますが、紀和の中心地の「板屋」からシャトルバスが出ます。 板屋には駐車場が沢山あります。 シャトルバスは無料です。 オーナーだとかの区別はありません。 イベントの時間は、午前10時から午後1時となっています。 雨天も欠航だと思いますが、野次馬は雨だと来ないでしょうね。 私も半分野次馬なので… ![]() ![]() 熊野市周辺地図です 2012年 05月 11日
観光地でお客さんの数を言うときには「入り込み客」という言葉を使います。 「観光地」ですから「よその人」がお客さんであり「地元の人」は数えないのです。 と言っても、入場料・整理料などを徴収しない所ではこの数字も実に大まかなものです。 今の時代ならセンサーを付けてカウントすることも可能ですが熊野古道のような所ではやっていません。 国道は監視装置が増えていますし、それ以外の道では、年に何回かカウンターを持ったおじさんやおばさんが「カチャカチャ」と歩行者とか自動車を数えていますけどね。 統計というのは「抽出したサンプル」で全体を推計します。 一日調べて一年を推計するとずいぶんの誤差も出ますね。 この推計数が元になって企画や予算が変わってきます。 何かが無いと説得力が無いのでそうなるのでしょうね。 飛行場を作ったりするときの計画書に使われる数字なんかはもっと漠然としたものから作り出す「作文」なのですけどね。 後追いで発表する「実績」なども多分に「作文」が含まれることが多いように思われます。 「東紀州観光まちづくり公社」と言う三重県の外郭のような所が、「熊野古道来訪者数(推計値)」を発表しました。 ベースの数字が何なのか知りませんが、実に細かく推計しています。 熊野市内では… 浜街道・花の窟 37.682人 松本峠 20.604人 観音道 9.984人 波田須・大吹峠 13.818人 二木島・逢神峠 10.426人 などがカウントされています。 これがきちんと月別に推計値が出されています。 昨年度の台風12号・15号の災害の影響も加味されているようですが、ものすごく不自然な数字も並びますね。 この「東紀州観光まちづくり公社」と言うものは、イベントを企画したりの他にこんな業務もやっているらしいです。 だから、こんなに細かい推計も作るのでしょう。 いくら???があっても、今のままの方が良いですね。 「不正確だ」などと言うと、千万単位で予算をぶんどって熊野古道中に臨時職員を配置して通行人をカウントし始めかねませんからね。 それに、私の持っている熊野古道歩きの人の推移も家の前国道と本町石畳道を通るハイカーの数を何となく眺めた「感じ」からのものですしね。 どっちにしても、こうした推計値でさえこの程度なのです。 松本峠の一日平均が56.4人 日曜日は平均の倍として113人 人が通る時間を6時間とすると時間当り19人ほど・・・三分に一人ですね。 うーーーん 私が写真を撮りに行って滞在するのが一時間ほど… 三脚を熊野古道の真ん中に立てたこともあります。 「邪魔になりそうだからと言って「ごめんなさいね」とハイカーに言ったこともありません。 増えているという説と減っているという説があるのです。 ともに推定ですね。 増えている方が都合が良い部署では「増えている」・・・ どうでも良いところでは「減ってきている」・・・ 果たしてどっちなのでしょう? 土産物屋なんて言う「観光産業」は事実上「熊野市営」のしか無くなってきたのですから町の人には実感が無いのです。 市民には知らされていませんが、観光客のお土産に補助金を出しているようなものですからね。 こんな数字を元に「300人が一度に食事できる食堂」を建てる訳です。 まあ、かつては鬼ヶ城の入り込み客、十数万なんて豪語していたこともあるのですけどね。 ![]() 2012年 05月 10日
熊野の良さは自然の良さでしょう。 熊野信仰自体が「古代自然信仰」みたいなものです。 熊野市の三山、「花の窟神社」「産田神社」「大馬神社」…これらは鏡だ剣だと言う神器が信仰対象では無かったようです。 どちらかというと神社としては異様に小さなものです。 熊野三山の方は信仰対象として沢山の人が来て寄進も多かったでしょうから立派な神社になっていますが、那智は滝や山々、新宮は神倉の岩山が元々の信仰対象でしょう。 本宮は今の山の中腹では無く熊野川の河原ですから少し趣が違いますけど… 田舎、辺地、僻地ですから、日本列島改造論時代でも、計画だけは一杯ありましたが、開発はされませんでした。 熊野市でも、我が家の前当りから鬼ヶ城まで歩かずに行けるロープウエイ、鬼ヶ城から海の向こうに見える猪ノ鼻灯台まで…駅のそばから木本を見下ろす華城まで…全部で10本を超すロープウエイを作る青写真が第一期総合計画に書かれていたと思います。 おかげさまでこんな馬鹿げた施設は出来ませんでした。 いやいや… 馬鹿げては居ないでしょう。 お歴々が真面目に考えたのですからね。 それに、日本が成長期だったし、こうした事業も「補助金」でやるので「熊野の金はあまり使わん」ですからね。 とにかく、何か箱物を作ることが地域発展だと言う迷信が出来上がったのもこの頃でしょう。 「日本列島改造論」をぶち上げた田中角栄さんの選挙区、新潟三区でしたか?、そこのでは山の中まで二車線の道が走り回っていました。 自然しか見せる物が無い… 自然のままでは客が来ない… 点から点へ効率よく廻るのが観光だと思われてきました。 四国88箇所のお遍路さんでさえ「バスで巡る四国霊場」なんてのが喜ばれたのですから。 「熊野古道」なんてのも「世界遺産」に登録されたから歩きに来る人が居るだけで、指定されなかったら、数少ない歴史マニアが歩いてみるだけです。 市内の「松本峠」とか「大吹峠」なども木本高校の生徒が遠足で通っていた程度でした。 私の頃は忘れられていたのですが、こうしたものを好きな先生が提唱してからずっとやって来たようです。 世界遺産指定以前に私が「松本峠」に行ったのも、「熊野古道」としてでは無く、鬼ヶ城の天辺に行くためでした。 高校時代には花の窟神社の天辺に登ったり、華城の天辺に行ったり… 「馬鹿と煙」だったようですが、普通では行かない所だったですね。 「蟻の熊野詣」で踏み固めた道も自然に帰っていたのです。 平成になってたたき起こされていますが、眠そうかな? 自然と言うものは変化して行きます、 山は浸食されて低くなるものだそうです。 片方では押し上げられて高くもなります。 川は溢れて扇状地などを作ります。 「君が代」では石が岩になりますが、自然界ではその例が少なく、強固な岩盤でさえ水や風で痩せて行きます。 こう書くとたいしたことの無い自然現象ですが、人間にとっては全部災害です。 大地が動いたりすると大変なことですからね。 鬼ヶ城の洞穴などの形、獅子岩のあごの形…微動だにしないような岩の塊ですが、私が知っている間、自然界で言えば一瞬にもならない期間で何度も崩れています。 鬼ヶ城の周遊道路なんて私が子供の頃の「下の道」はかすかに痕跡を留める程度に消えています。 波と風が岩を10cmほどは削ったと言うことでしょう。 このように結構もろいのが自然ですし、もろいから面白い形に浸食されているのです。 でも、近年、まともに鬼ヶ城観光が出来たことがほとんど無いのです。 周遊路どころかパンフレットに出てくる「千畳敷」にすら行けないこともあるくらいです。 数年前には千畳敷のひさし部分の岩が風化で耐えられなくなって落下したこともあります。 1トンを越すようなかけらでした。 そんな出っ張りがあるから鬼ヶ城らしいのです。 刻一刻と痩せて居るのも事実でしょう。 どこの観光地でも同じですね。 倒れそうなものは倒し、崩れそうな斜面は国道のように巻き立てし、危なそうな所は通行止めに… 安全優先にすると、見るところが無くなるでしょうね。 日本の海岸線は津波で危ないですから近づけないし、山は崩れるし、火山は噴火するし、都会などは車も地震も危ないし… 中国には「杞憂」てえのがあるし、西洋では「チッキンリッキン」なんてのがあります。 気にしていては生きて行けません。 短い一生ですから、生きている内に色んな物を見て老いた方が得でしょう。 いや??? 成仏して仏になったらワープも自由自在みたいですから、世界一周も80日も掛からないでしょう。 それまで待った方が得なのかな? でも… 悪行のせいで地獄に落ちたら自由がなさそうです。 熊野詣では「現世の観光」ができて「来世の観光予約」も出来る様です。 有り難いですね。 ![]() ![]() 熊野市周辺地図です 2012年 05月 09日
熊野市は箱物が大好きです。 そして、事実上の直営施設が好きです。 どんどん作ります。 何しろ、合併したので「合併特例債」などが使えるので「自分の金が要らん!」という発想ですから… 昨年度の花の窟神社前の土産物屋に引き続き、今年は「鬼ヶ城」に作ります。 直接の建設費だけで5億3千4百万円です。 直接の熊野市の負担は8千万あまりです。 前の施設の取り壊しから整地などを含めればまだまだ膨れています。 鬼ヶ城は熊野一の名所ですから、休憩所や土産物屋があっても良いでしょう。 でも、何とも格好を付けた建設費が掛かって雨仕舞いも悪い建物が出来そうです。 そして、上階には大ホール…300人が会食できる部屋が出来ます。 高速道路が出来て、観光バスが押しかけてきたときに備えるのだそうです。 前にあった「鬼ヶ城センター」の赤字の原因の一つにこれと同じ規模のホールがあったことです、 貸し会議室とは違い、「飯」を出すにはそれなりの施設とスタッフが必要です。 施設は補助金でやるのでなし崩しに作れるでしょうけど、調理場のスタッフはどうするのでしょうね? 以前は「簡保センター」の調理人が掛け持ちしたりしたようですが… 滅多に来ない大口団体さん… 一体、年に何回開店出来るるやら… もてなすのなら… 客を呼ぶなら… それなりの中味と味の料理を出さないといけませんよね。 この施設を運営するのは「財団法人・紀和町ふるさと公社」なんです。 ここには「瀞流荘」という宿泊施設はありますが、片道20Kmほどの所を兼務する??? その辺の詰めもまだ無いようです。 とにかく箱は作りたいのだそうです。 いつも書くように、全国2000自治体が好き放題にこんなのを作るのですから日本国は滅びます。 どの首長もこんなのを作るのが自慢なのですからね。 そして、文化人たちは褒めまくりますしね。 ![]() 来年の夏には開店するでしょう。 血税が無駄にならないt\ようにぜひ熊野まで来て「ここで」食べてください。 ![]() 熊野市周辺地図です 2012年 05月 08日
昔、「旅行」では無く「旅」だった時代… 日本人は娯楽の一つとして…娯楽を兼ねて…お寺さんなどにお参りしました。 江戸の人たちだと、「浅草浅草寺」「池上本門寺」「川崎大師」適当に御利益のあるお寺を選んで参ったようです。 そして、「講」なんてのを作って代表が遠いところまで出かけたようですね。 「身延山」「善光寺」「お伊勢さん」「高野山」そして「熊野詣」なんて実に色んな所に行ったようです。 「街道」というのがそこそこ整備されていたので庶民でも遠くまで行けたのでしょう。 「道標」「一里塚」なんてのから「宿場」まで整備しましたからね。 熊野古道も和歌山県側の分は随分古くから整備されてきたようです。 何しろ「上皇」なんて人が通うくらいですからね。 徒の「旅」が鉄道が敷かれるようになると「旅行」なんて呼ばれるようになってきたようです。 うんと早く移動できるようになったので、効率よく見て回れるようになり、バスなんてのも出てくると、お寺や神社だけでは無く、まわりの景色も見に行くようになったようです。 国の方も「国立公園」なんてのを指定して見所を増やしていったようです。 それでも足りないからと「国定公園」が出来、外されたからと言って「県立公園」なんてのも出来ました。 お墨付きが増えすぎて宣伝効果は落ちる一方でした。 昭和10年代20年代は「国立公園」と言うだけで観光客が来たのですからね。 いまでは国立公園がどこにあるか知っている人の方が少ないでしょう。 小学校の社会の時間に「吉野熊野国立公園」「十和田八幡平国立公園」「富士箱根国立公園」・・・などと覚えた時代もあったのです。 昭和11年(1936)に第一回の指定がされ、鬼ヶ城とか獅子岩・七里御浜なども「吉野熊野国立公園」としてその中に入ったのです。 その頃には珍しい記念切手も発行され、大阪方面からの観光客が紀勢西線を蒸気機関車でやって来たのです。 その頃は「景色」も観光の大きな目的だったのです。 時代が下ると、そうした「公園」も矢鱈と増えて宣伝効果が薄れました。 さらに、汽車は速くなるし飛行機は飛ぶし… 「北海道」「沖縄」なんて本州とはおよそ違う景色の所が手の届く旅行先になってしまい、ますます色あせました。 この辺の景色もすばらしいですが、「熊野じゃ無くては!」と言うほどでも無いですね。 「大又川」も綺麗ですが、裏側の天川も綺麗だし、足助も奥入瀬も定山渓も大歩危も… 「七里御浜」は綺麗ですが、九十九里も桂浜も三保の松原も・・・ 「熊野灘」は広い海ですが、変化に富んだ瀬戸内や松島も… 「潮岬」も良いですが、竜飛岬も襟裳岬も日御碕も… まあ、この範囲の時は良かったです。 地球が狭くなると・・・ 「大又川」とダニューブ川、セーヌ川、ロワール川、ライン川なんてのを比較することになるし 「七里御浜」とイパネマ海岸やニース海岸と比べるし… 「熊野灘」はエーゲ海、地中海、バルト海、南シナ海と比べるし・・・ 「潮岬」はノルドカップやソレントなんてのがライバルだし… ここまで競争相手とか比較対象が増えると大変です。 それに人の一生で旅行できる時間も使えるお金も限られています。 この広い地球でどことどこを訪れるか… 私も日本国内で県単位でも鹿児島と宮崎は足を踏み入れていません。 でもそんな遠くて高く付くところに出かけるのなら… ミャンマーとかトルコとかまで行きたいし・・・ どっちを選ぶ??? 宮崎海岸やや霧島を選ばないですね。 この辺と少ししか違わないのは確かですから… それに、日本のB級グルメよりは外国のB夕グルメの方が面白いです。 新東名のサービスエリアだけを巡るツアーなんてのが出ているらしいですね。 観光の目的も変わってきたものです。 ![]() ![]() 熊野市周辺地図です 2012年 05月 07日
さて、『オール熊野・世界No.1・フェスティバル』 の中味です。 熊野市が全戸に配布したパンフレットでは… ステージイベント 10:00 オープニング 10:15 熊野合唱団(フラワーコーラス) 10:35 各地の芸能 ジャジャック(飛鳥) 木本節(木本) 紀和瀞流太鼓(紀和) 神川小唄(神川) おこん踊り(五郷) 祭踊り(有馬) 12:20 熊野市観光大使委嘱式 12:40 あいさつ大声コンテスト 13:00 みんなでめはり{世界No.1に挑戦} 13:40 熊野市オリジナルソング披露 14:00 錦の御幡献上行列PR 14:05 夢輝のあ コンサート 14:45 餅ほり 交通遮断した広場では… 特産・物産品販売 ふるさと公社コーナー 熊野のお寿司が大集合 体験コーナー(ミニSL・にいひめちゃんトランポリン・つりぼり) インフィラータを作ろう 裏面では・・・ シャトルバス運行表 があります。 路線バスの他にシャトルバスを出すそうです。 甫母・二木島便 甫母・須野漁民センター9:00発 遊木大泊便 遊木口9:10発 紀和・金山便 瀞大橋9:00発 大又便 大又大久保9:15発 五郷。飛鳥便 桃崎9:10 育生・神川便 育生出張所8:30発 帰りの便はイベント終了後、この各方面向きにでるそうです。 会場周辺の地図も出ていますが、このバスの発着場所は出ていません。 当日は定期便のバスも、タクシーも駅前から排除されますが、その変更場所も出ていません。 タクシーへの退去要請はうんと早く出たのですが、その時には運転手さんはどこに移されるのか知りませんでした。 通行止めによる迂回路の標示もありません。 まあ、「ご迷惑をお掛けします」の看板の出ない町ですから… 観光客も何も頭に無いのでしょう。 それに、交通整理などにはいくらでも市職員を動員できますからね。 (ボランティアなのか隠れ予算なのか分かりませんが…) 上にあげたような内容の「世界一のイベント」で頭が一杯なのでしょう。 駅前工事の完成も年度末に出来なくても平気だけど、ひたすらこれに間に合わせようと言うくらいですから… 工事は建設課…イベントは市長公室・・・ 縦割りでは無く見事な連携です。 他のお役所も見習って欲しいですね。 ただし… 横の連絡という面だけですが… このように、市内各方面からの送り迎えをしてくれるのですから、ぜひ、バスに乗ってあげてください。 普段の通勤通学時のように5人とかでは無く… ![]() 前の日には、「東紀州ご当地グルメ大会」 なんてのを記念通りを歩行者天国にして行うそうです。 だから5月26日には午前10時には記念通りが交通止めになります。 5月の頭にこのパンフレットが配られたのですが、詳細は決まっていないそうです。 こっちは食い物がメインなので少し人が集まるかな? 兎に角… 交通止めが自由自在な町です。 これによってあまり迷惑しない… でも、歩いてこられる人があまりいない町なのに閉鎖して「地域活性化」って面白い発想です。 記念通りの北者天国でも「見かけない顔」にあまり出会わないのですけどね。 ![]() 熊野市周辺地図です 2012年 05月 06日
「オール熊野・世界No.1・フェスティバル」なんてのが行われます。 昨日も触れた「熊野市駅前改修工事完成(していない!)に合わせた、新しいイベントです。 もちろん、バスもタクシーも自家用車も排除して行います。 さすがに観光客に来るなとまでは言っていないようですけど… 日時は5月27日 AM10:00~PM3:00 雨天決行でしょう。 場所 熊野市駅前ロータリーと市道を閉鎖した広場 主催 熊野市 オール熊野世界No.1フェスティバル実行委員会 問い合わせ先 熊野市役所市長公室 0597-89-4111(内線313) 表予算 祭本体 470万円 インフォラータ 72万円 隠れ予算 準備中と当日動員の市職員人件費等 私はこのイベントには全面的に反対しています。 「イベント」って何なのでしょうか? 自分たちでワイワイ騒いで自己満足するために行うのは町内会の夏祭りや花見でしょう。 思いつきで、全国どこにでもあるものを名前だけ変えて、膨大な予算をつぎ込んで… 次から次へと生み出して… 大義名分は、「地域活性」… 何が世界一??? 「めはり寿司」を200人以上で一斉に食べる… これば呼び物だとか… ギネスにでも申請するのでしょうか? 「インフォラータを作ろう」 なんてのもあります。 予算が72万という代物です。 私も初めて聞いた名前だったのですが、花びらで絵を描くやつです。 ヨーロッパではありますね。 これが食わせ物で、「インフォラータ協会」とか言うのがあって、その指導を仰ぐのだそうです。 その手の方に来て戴いてご指導を仰ぐ…ってことらしいです。 イタリアが好きで、姉妹都市に縁もゆかりもなさそうな「ソレント」を選んだ市長らしいです。 なんのためこんなのに金を掛けるの??? 定着するはずも無し… 地元の旧来の祭が消えて行こうとして居るのに… 自分が考えついたものにはいくらでも金はつぎ込む… 気に入らなければ寄付して貰った銅像でも簡単に撤去する… 見えにくかろうと、走りにくかろうと強引に道を曲げて石で横断歩道を描く… 自家用車がどうなろうと、大型バスの取り回しがしにくかろうと道路の真ん中にベンチを置く… カーブの入り口には見えにくいし、衝撃の大きそうな石柱は立てるし… これらは工事前に提言したのですが、東大コンビが考えたことなので、無視されました。 「花の窟神社」「鬼ヶ城」とまだまだこの動きは続いて行きます。 でも、おとなしくて子羊のような…熊野市民は黙ってついて行くのだそうです。 行き所が無くなったら、「羊飼い」は逃げ出せるのですが、老いた羊たちは??? マトンにも羊毛にもならないので捨てられますね。 こうしたイベントや野球・ソフトボール大会があると、経済的波及効果があるのだそうです。 商店の売り上げが減っても、それ以上に恩恵にあずかる業界があるから良いのだそうです。 それは…「ホテル業界」だそうです。 これは「公式の質問」に対する「公式の答弁です。 熊野市の大きなホテルは…「ビジネスホテル・カワカミ」と「ホテル。なみ」… 市長の苗字は「河上」です。 もちろん市長が社長のはずありません。 ここまでしか書きませんけど… このやりとりの時には会場で失笑の声が聞こえました。 でも、異議を申し立てるのは数名… 予算に反対したのは3名… フェスティバルの内容は明日書きます。 まあ、機会があれば見に来てください。 今年来ないとおそらく来年はここではやれないでしょう。 「人に迷惑掛けないでやってください」と公式に申し込んであります。 ![]() ![]() 熊野市周辺地図です 2012年 05月 05日
連休中ですが「公報くまの5月号」が配られて来ました。 この広報誌は各地区で民間人に委託していますので配られる日がかなり違っています。 私の町内は一番早いほうです。 例によって… 人口動態 平成24年4月1日現在 人口 19.084 (-175) 男 8.732 (-91) 女 10.352 (-84) 世帯数 9.544 (-55) 減少数が大きいですが、これは過疎地の田舎共通の季節的なものです。 昔から、高校を卒業する時期に多くの転出があります。 学生さんの場合は住民票を移さない場合はありますが、就職すると移すことが会社で求められるのがほとんどですからね。 この転出した子供が住民登録を持って帰ってくることはほとんどありません。 市役所に入ったとかでも無いと無理です。 かつては林業の跡継ぎもたまに居たのですが、そんなのはもうあり得ません。 努力とかの問題では無く、制度的、構造的な問題です。 この人口動態を載せ始めた時に人口は二万人ちょうどくらいでした。 そして今が一万九千人… この千人の減少ピッチは速いです。 人口三万人の時に比べると分母が2/3になっているのですから、ハイピッチです。 でも、もう少しすると落ち着いてくるのでしょう。 出て行こうにも子供が居なくなり、自然減だけになりますからね。 計算したことはありませんが、10年経つとその自然減の累計が5000人とかなんでしょうね。 老人がすでに4割を超えた地区も増えつつありますから… 限界集落なんて呼ばれる前に終末部落でしょう。 いくら減っても「市」は「市」なんです。 「市」のお取りつぶしはありません。 そして、「合併」では無く「吸収合併」なら人口要件も特例になるでしょうから、旧南牟婁郡が全部合併した三万を切った「新々熊野市」が出来るのかも知れません。 平成の大合併の時にこの形の合併をするのが当然だったのですが、色んな思惑が入り乱れて実現しませんでした。 「新熊野市」は超過疎の紀和町だけを吸収して出来たのですが、すでにその時に増えた人口程度が減少しています。 ![]() かつてはこの駅から若者が出て行ったのですが、今ではバスの利用者とか親が送って行くとかが増えているようです。 帰省してくるときも鉄道で来るのは学生の一部だけ… 駅前が賑わうのは熊野大花火大会… 普段は木本高校の登下校時… そう遠くない時期に県立高校の統廃合が行われるでしょう。 まあ、木本高校の方が残されるでしょうから、取り敢ずは通学生だけは乗降するでしょう。 近大高専が消えても進学に関してはほとんど影響しなかったのです。 次に紀南高校が消えても進学事情が厳しくなることはなさそうです。 そんな駅前を石で舗装し、噴水を作り… 何を考えているのやら… 墓石を作ってやれるほどお金を放り込んでも列車で来る観光客なんて増えません。 なまじ石を使ったので視覚性が悪いし変なカーブを作ったので危ないし… 着工前に指摘したのですが『「偉い先生」が考えたことだから大丈夫』と、無視されました。 『人間より見場と面子』 困ったを通り越して怖いです。 ![]() 熊野市周辺地図です 2012年 05月 04日
熊野市飛鳥町大又に「キリシタン灯籠」だと言われる物があります。 灯籠は「大台平」と言われる集落の「庚申様」に祀られています。 元は川向かいの「池田平」の池田という家にあったのだそうです。 この大又という所には「坪田平」「大久保平」などと言う集落があって、それぞれの地域の地主の名字を撮った地名のようです。 この「池田平」に今は「池田」と言う名字の家はありません。 しかし、営林署が持っていたという土地にすぐに分かるほどの立派な屋敷があります。 立派と言っても大きな家の無い地域ですから狭いものです。 せいぜい百坪くらいでしょうかね? 田舎にすれば狭いですが、平地の少ない所ではこんなものでしょう。 ![]() 何とも分厚い石垣です。 かと言って砦のようなものでも無いのですけどね。 この辺りの石垣の5割増しくらいの厚みです。 キリシタン灯籠を立てて隠れキリシタンだったから守るために…なんてこともなさそうだし… 当主の趣味だったのでしょうか? この門に続く道もすごく狭く作ってあるのも異様なのです。 石垣の上から攻撃されたら通れません。 でも、裏山からだと簡単には入れちゃう・・・ 私の知識程度では「キリシタン狩り」とか「殉死」なんてのは大又村であったかと言うことは分かりません。 ただ、戦乱の度に落人がやってくるような辺地ですからこの辺りには「隠れキリシタン」が結構居たようです。 でも、近代になってからキリスト教徒を名乗る人は居ませんね。 ゴロゴロある曹洞宗の寺が耶蘇教の教会だったなんて話も聞きませんしね。 「御大師様」もありますが、「弘法様」と「キリストさん」が一緒だったなんてのも聞きませんし… キリストが生きていて日本にやって来たなんて説を唱える人だと分かりませんけどね。 義経が蒙古に渡ってジンギスカンになったというような話だとねえ… ![]() 熊野市周辺地図です 2012年 05月 03日
「薄日が差してきた」という言葉は、少しばかり期待を抱かせるような使い方をされますね。 今日の場合は、単純に雨が上がって薄分がさしてきたと言うだけのことです。 昨日の交通止めはほぼ丸一日の長い時間でした。 その間は物流も止まっていました。 工業地帯では無くほとんどが消費物資ですから24時間の停滞程度は分からないままで済んでしまいます。 この辺で雨が終わった頃にでも、東の方は豪雨の最中になります。 梅雨時の豪雨と同じような降り方でしたからね。 そして、この雨でもあちこちで被害が出ているようです。 雨量的にはものすごいものでも無かったのですが、去年の台風12号関連水害の復旧に手が付いていないところが多いので、護岸などの崩壊しているところが大水に洗われて小崩れが中崩れに、中崩れが大崩れになってしまった箇所が出ています。 査定も設計も終わっている現場ですと、厄介なことになる場合もあります。 それじゃあ工事費を増やしましょう…と行かないのがルールですからね。 これを自由に許すと何をしでかすかも分からないのが世の中ですし… 「災害復旧」てえのは自前の金でやれる部分はほんの少しですし… 日本中が本当に大局的にものを見て、公平にやれるのなら問題は無いのですが、現実は「自分の所さえ良ければ・・」がまかり通って無駄遣いの山を築いて居ます。 もはや、日本の国力はそんな事言ってられないはずなのですけど… これをアップしたら山間部の状況を見に行くつもりです。 この時期の雨で被害が出るようでは梅雨時が思いやられます。 台風12号関連水害の復旧工事はあと一年半は掛かる事になりそうですからね。 崩れたところが二回の梅雨時、二回の台風シーズンを越さなくてはならないのですから… 日本全土で地震・水害の復旧がままならないのに、それでも新幹線や高速道路を作るんですからね。 この辺の橋も老朽化してきていますが、日本の橋の半分くらいは危なくなっているのでしょう。 そっち向きの予算は取りにくいです。 絆創膏を貼ってごまかすような話にしかなりません。 ![]() ![]() 熊野市周辺地図です 2012年 05月 02日
昨日も降りました。 夜中も降っていました。 そんなに激しい雨では無いのですが、梅雨の雨のように根気よく降ります。 そして、今朝6時頃… 「紀勢国道事務所および三重県熊野建設事務所からお知らせいたします…」と、放送が始まりました。 これは道路の通行止めの放送です。 「国道42号線飛鳥町大又と尾鷲市矢の浜の間、国道169号線五郷町桃崎と和歌山県北山村の間、県道神川北山線?の神上・七色ダムの間は雨量規制により交通止めになりました。」というものです。 雨は止んでいません。 一旦規制が掛かると雨が止んで2時間経たないと解除なりません。 一旦晴れても二時間以内にざっと降ってくるとカウントの取り直しです。 雨によってはプロレスのフォールのカウントのように中々成立しません。 この様子では今日一日駄目でしょうね。 ただし、尾鷲熊野間も海岸沿いの国道311号線は走れます。 残念ながら、八鬼山トンネルとか立派な区間もありますが、熊野市内でロングボディの車が駄目なところがあります。 まさにボトルネックです。 連休の中休みの1日2日の雨ですから行楽への影響は少しだけ少なかったでしょうか? でも、「熊野古道」は山道を歩くのが目的です。 熊野三山へのお参り以上に雨は応えます。 雨の杉木立は良いものですが、高野山や永平寺・久遠寺などの参道の木立のように足元が整然と敷かれて石畳とか石段では無いですからね。 松本峠などの売り物の「景色」も全く煙ってしまって何も見えないでしょう。 雄大・壮大さが売りの眺めですし、形作る七里御浜や那智の山などは20Km30K先のものです。 春がすみでも見えなくなるのに、視界1Kmなんて状況では… 私もベトナム・フエで霧雨の中を延々と歩きましたが段々惨めになりました。 お遍路さんで覚悟の出来ている人なら、「これも仏様から与えられた試練なんだ」なんて思えるのでしょうけどね。 雨が止んで日が差し出すと… 「これは仏のご加護だ」なんて思えると良いのですが… それに、この辺の雨は「春雨じゃあ 濡れて行こう」なんて言える降り方をしませんしね。 「濡れてみたいわ 二人なら…」なんてのも歌の世界だけでしょう。 この雨で明日からの行き先を変更した人も随分居るでしょうね。 台風の雨のように止むと同時に晴れ渡ると言うことも無さそうですし… 昨日、新宮往復走ったのですが、中休みの日と言うこともあるのでしょうけど平常よりほんの少し車が多い感じですが、新宮大橋も橋本の信号も停滞無しでした。 信号を三回も待たせるとこの辺では「大渋滞」って考えます。 だから、熊野川に三本目の橋を架けて新宮市をバイパスさせようなんて運動をやっているグループもいるのです。 さらに、高速道路も付けて… これが日本の発想ですね。 「国敗れて山河あり」…ではなく… 「郷消え失せて道路あり」てえ光景が納すぐ見られるかも… 老人用電動カート専用車線も作らなくっちゃあね。 雨でどこにも行けませんのでぐだぐだと書きました。 ![]() 11時30分 県道熊野川線?紀和町内で通行止め が追加されました。 熊野から本宮へ行く人の一部しか通らない道ですけどね。 ![]() 熊野市周辺地図です 2012年 05月 01日
バブルがはじけて以来、日本のレジャーは「安近短」と言われてきました。 しかし、そのレジャーという言葉が使われる前から日本の行楽は「安近短」だったようです。 例外は「伊勢参り」「熊野詣」「四国88箇所巡り」なんて「お参り旅行」でしょう。 汽車が走り、電車が走るようになって、東京の人は伊豆だ箱根だと出かけ始めましたけど、一泊二日とか… 長逗留するもはお金持ちと病人… 安近短も少し変わったと言われますが、実態は… 海外が安くなったので… その海外でも、これでもかと言うほど強行スケジュールツアーが受けているようです。 新聞広告では「0泊3日」なんてキャッチフレーズがありました。 「リゾート法」なんてのが作られたとき… 日本の休暇を充実させ、国民が余暇を楽しみめるように… 国を挙げて大きな保養施設を作ると言うことだったのです。 当時、その推進室にいた代議士、前の三重県知事だった野呂さんの説明では・・・ 「標準家族親子四人で一日10万円程度で10日ほど、お安く夏休みが楽しめるように…」が、国の計画だったのだとか… 当時はまだ景気が良かったのですが、田舎者の私などからすれば「夢の又夢」「お金持ちの戯れ言」でした。 夏休みの10日に100万円つぎ込んで「安かったね!」といえる家庭なんて考えられませんでしたからね。 「天気の良い日は新鹿海岸で泳いで…泳げないときはのんびり読書でもして…」 失礼ながら・・・ 「ここは日本ですよ。フランス人のような過ごし方は無理です。10日あったら紀伊半島を一周して…それに、一日10万円はお安くないです!」と、反論させて貰いました。 三重県二区にもそれの出来る人は少しは居たでしょうけど、その手の人はその当時でも「新鹿」では無く「ニース・カンヌ」や「ハワイ」に出かけたでしょう。 かくして、リゾート法もどこかへ消し飛んだし… その残骸、亡霊が生き返った「広域的交流拠点」なんて施設は熊野に出来ていますが、どう見ても客が居ない… おまけに大都会は「自己完結型都市」を目指しています。 温泉も水族館も遊園地も…果てはショッピングもレジャー化しています。 見事に囲い込みに掛かっていますね。 この流れは止めようが無いようですが、世の中はこれに疑問も抱かないようです。 「富の再配分」なんてカビの生えたスローガンですね。 昔は田舎が「自給自足」という「自己完結社会」を作ってきたのですが、今では田舎はそれが出来ず、地方交付税とか過疎債・合併債なんてので都会のおこぼれに預かって生き延びています。 「居候は文句言うな!」って言われそうです。 でも、江戸の住民だって田舎者の集まりだったのです。 まあ、「三代住んだら江戸っ子」だそうですけどね。 戦後膨れ上がった首都圏の人はまだ三代目では無いはずです。 なのに… 田舎からは「お墓」まで消えて行くのですから仕方ないです。 「ルーツ」なんてのは古いハリウッド映画の世界でしょう。 ![]() ![]() 熊野市周辺地図です 2012年 04月 30日
毎年、七里御浜で「鯉幟」が泳ぎます。 もう、随分になりますね。 二十年ってことは無いです。 お手本は四万十川でしょうね。 今は全国でこんな風に一杯泳いでいますが、まね軍団ではそこそこ古い方に入るのかと思います。 主催者は「七里御浜鯉のぼりの会」です。 発足当時自分の子供が小さかった人も今では「孫」のp鯉のぼりって感じになり、亡くなられた方もおられるくらいです。 ![]() 今年、泳いでいるのは200匹だとか… もちろんこれはお古の鯉のぼりです。 寄付して貰った鯉のぼりを修理しながら使っています。 市内。近郊ではそんなに補充できませんしね。 この地方は鯉のぼりに血道を上げるところではありません。 「鯉のぼり」や「吹き流し」「幟」はては「大漁旗」まで、親や一族の面子にかけて頑張るところもあるようですけどね。 そもそも、中心部の木本町なんかでは鯉のぼりを上げる場所もありませんでした。 玄関を出れば一尺の余裕も無しで道ですし、隣との間には通路も無い… 中庭(坪の内)に立てても見える訳も無し… 鯉のぼりに熱心なのは一寸郊外で広い庭があって他所様によく見える農家のある所みたいです。 熱心じゃあ無いとろろで、更に生まれる子供が居なくなるとますます鯉のぼりなど見かけなくなりました。 この鯉のぼりが泳ぐのは昨日から6日のお昼までだそうです。 鯉のぼりが上がっている間は、車を停めて浜に出てくつろぐ人が多くなります。 駐車場は用意されていません。 国道42号線鬼ヶ城トンネルを抜けると前方に「鯉のぼり」が見えます。 坂を下って堤防の内側に入ると見えなくなりますが、二つ目の信号を越えると道路が上り坂になり堤防の高さまで上がります。 そこで再び鯉のぼりが見えるようになり、堤防を越えて浜に降りる工事用道路があります。 一般車両も降りられますし、十数台は停められます。 しかし、舗装の先は砂利浜です。 絶対に入らないでください。 砂浜と違い一般車両は走れません。 一軒硬そうですが砂浜より悪いです。 四駆でも軽いジムニーでやっとこさです。 思いパジェロとかランクルは駄目ですよ。 まして、おもちゃの四駆乗用車なんて… 作業した昨日は上天気だったのですが、今日は朝からどんより… 明日からは天気が悪い日が続くのだとか… 「鯉のぼり」てえのは、「五月晴れ」とセットのものです。 この鯉のぼりは雨の日でも泳いでいますが… 「水を得た魚」って言いますが、鯉のぼりばっかりは「干物」みたいなものです。 やっぱり、天日の下の方が似合います。 ![]() NIKON D800E 24-120 Zoom ISO200 ![]() 熊野市周辺地図です 2012年 04月 29日
先ほど買い物に行く途中で鎧甲に身を固めた男たちと、一寸時代がずれているような、さも「熊野詣風」の旅装束の女との集団が歩いていました。 鎧からすると平家の公達では無いですね、 朱胴の鎧ですが、たいした武将という訳でもなさそうだし… 背中に「旗指物」が付いていて「松阪勝手何とか…」と書いてあったように思います。 写真を撮ってブログネタにするのが普通でしょうけど、恐ろしくこの地にそぐわない集団なので撮る気にもなりませんでした。 見かけた人に言わせると、熊野在住の「文化人」?、「芸能人」?「アーティスト」?も入っていたのでは無いかと言うことです。 芝居の宣伝かな? 補助金をばっちり持って行って仲間内が愉しむようなことをやるので私は嫌いな集団ですが、それがかんでいたのなら撮らなくて正解でしょう。 ローカル紙には載るでしょうけどね。 ここの豪族は「多蛾丸」という海賊の元締めでした。 どれほどの悪さをしたのか知りませんが、征夷大将軍「坂上田村麻呂」に退治されちゃいました。 それ以降は大名になるほどの勢力を持った家も無し… 争乱の度にあちこちの村から出兵したようですが、敵味方バラバラ… 落人をかくまった記録もあるようですが、武将が武将らしくしてここに居たことは無いでしょう。 なんだかなあ… という感じです。 ここに似合うのは… ふんどし一丁の男衆 つんつるてんの着物で裾よけ?おこし?が衣装の一部と言った女ども 真っ裸で走り回るガキ 刀を差したのは「奥熊野代官所」のお代官様 もし鎧を着ているなら、元結いを切ってボロボロの落ち武者… だと思いませんか? 格好良いのが来たとしたら、征服者とかいじめに来る連中でしょう。 イザナギ・イザナミはヤマトタケルのような出で立ちだったでしょうか? その時代にはここも国の中で重要だったし、重要人物も居たでしょうけどね。 でも、あんな時代のまっすぐな刀が伝わっているという話も聞きませんね。 ![]() ここで火之神が生まれたのだそうです。 でも、お袋さんが焼け死んだからと言って、親父さんがその火之神を殺しちゃったとか… 今はやりの事件が神話の時代にこの有馬で起きたのですね。 ??? 所で… 火の神様を殺しちゃって、日本はどうなったのでしょうね? そんなにどうでも良い神様なのでしょうか? 私って皮肉れていますね。 でも、不思議ではありませんか? ![]() 熊野市周辺地図です 2012年 04月 28日
![]() 今日の熊野市駅の午後… 上りの列車がもうすぐ来るという時間です。 ホームには4人のお客さん… そして、駅前は3月28日完成だったはずの工事がだらだらと行われています。 もちろん、「ご迷惑をお掛けいたします」なんて看板など出ていません。 なにしろ、自分たちが27日にやる500万円を超える予算をつぎ込むイベントにさえ間に合わせれば良い…という考えでやっているのですからね。 憶測では無く、半ば公式の答弁で、「何とか5月27日には間に合わせたい」と行ったのが熊野市なんです。 そこには「観光客」も「通学生」も見えていないのです。 この差し出しの屋根もほとんど意味が無いのです。 このひさし部分にタクシーもバスも入り口さえ入らないのですから… そして、乗降客の減少で旧来の屋根のある通路さえ一杯になる事は無いのです。 何のため??? 「お金を使うため!」なんでしょうね。 近年の熊野市の無駄遣いの元凶は… 市民の多くが気がついているのですが、トップとそのお友達のエリートが余分なことを考えるからです。 「過疎債・合併債を使うので熊野市の負担がほとんど無いのだから良いでは無いか!」と公言をしてはばからないってどんな神経なのでしょうね。 「非国民」以外の何物でも無いでしょう。 85%、90%の国の負担や、返済の負担だって、日本の血税なのです。 どうしてもやらなくてはならない防災工事とか住民福祉なら分かるのですけどね。 千万円、億円単位の無駄遣いは… 平和ですね… クーデターが起きないし、デモすら無いのですからね。 私の意見の賛同してくれる人も少し増えましたけど… 全国の皆さんは、自分の金を少しでも取り戻すために、この熊野の施設を利用してください。 それ以外に元を取る方法はありませんから… まだ、ゴールデンウィークは一週間あります。 列車もがら空きです。 思い立ちさえすればいつでも来られますよ。 ![]() 熊野市周辺地図です 2012年 04月 28日
今日からゴールデンウィークだそうですね。 元々曜日に関係ない生活だったので、このゴールデンウィークというものももう一つピンと来ません。 役所が休みという以外は、道路が少しこむだけです。 熊野市のようにリタイア組が多いところでは、「連休」なんて実感が湧かない人が多いでしょう。 昔は「山林労務者」とか「一次産業従事者が多くて、「土日」すらいい加減だったのですが、今だと、「山働き」も「土方」も日曜休みの職場に変わったところが多いですけどね。 子育てが終わるとますます曜日もどうでも良くなり、ゴールデンウィークも意味が無くなります。 連休前に「鬼ヶ城の周遊道路」は久しぶりに通行可能になったようです。 でも、東口への道路は修理中です。 近年、鬼ヶ城をまともに観光できるときは少ないですね。 「熊野古道」に行政の関心も移っていますから… まして、「津波」なんてのが現実味を帯びてくると、イメージ的に大変です。 最近言われているような「空前のスケール」となると。鬼ヶ城では助かりませんからね。 ここだけでは無く、海岸線の名勝、海のレジャーポイントはどうしようも無いです。 ことに太平洋岸はどこでも命がけって事になりますね。 でも、東京に居たって、名古屋に居たって駄目なときは駄目なんですから… 今の時間…土曜日午前10時40分… 名古屋とか大阪を早朝に出発した車がそろそろ家の前を通過する頃です。 暫く家の前で車を観察していました。 他所へ遊びに行く車が多いはずの上りと、入り込み客の多いはずの下りを比べると、あまり変わりなし… 今日などは下りが多くないと「収支」が合わなくなります。 こっちから出て行く人は。買い物とかレジャーランドとかで同じガソリンを焚いても使う金が熊野古道歩きの人よりはるかにお金を使います。 下りの車のナンバーを観察しても、地元の三重県ナンバー和歌山県ナンバーがほとんどです。 高速無料化の時もこんな状況でしたね。 無料区間の高速も延びてきたのですが、都会の客を引っ張る要素にはなっていないのでしょう? よその人で、紀勢自動車道が出来てきたことなんて知ってて居る人はほとんど居ないでしょうし、「これを機会に熊野へ…」なんて思う人もほとんど居ないでしょう。 こちらでは、部分開通すると報道されますから、松阪だ名古屋だ…と出かけるきっかけにはなるようですけどね。 昨日、「産田神社」へ写真を撮りに行きました。 「花の窟神社」は新しい観光施設が出来たばかりなので車も人も居ましたが、セットのはずの「産田神社」には観光客は居ませんでした。 そばの市道も産田橋が落ちてしまってまだ直っていませんからね。 バスも止まったままなんですから、あまり来ないでしょう。 観光は「産業」だという考えですから、金を使わせるところにだけ人が来れば良いのかも知れません。 謂われなどをよく知っているとか、「気」なんてのを感じ取る人以外には、熊野市の霊場は見るべきものなどありませんからね。 分かって貰うことなんて不可能に近いものが売りなんです。 実在するやら居ないやら… 古代信仰だと言いつつ、新興宗教と同じように「信じるものにしか分からない」ものですから… 今はやりの、「パワースポット」だと「有名な霊能者」に言って貰って、ネットやワイドショーやおちゃらけ番組で放送して貰えば、「かわいい女の子」が沢山来るかも知れませんね。 ![]() 私が産田さんに行ったのも、カメラのテストってことなんで信心深い訳でも無いんです。 何もない小さな鎮守様みたいな神社ですが、「いいところ」です。 縄文時代から人が住んでいた所ですから、「火の神様」が生まれたのも本当かも知れませんよ。 ![]() 熊野市周辺地図です 2012年 04月 27日
井戸川の中流部、下の大馬神社・宇井団地から上流に関しては、砂地の河床では無く岩だらけの川です。 洪水直後に積み上がってしまった岩を一部取り除きましたがまだまだ足りません。 この区間に入ると道路や堤防の護岸が壊されたり、足元をえぐられて宙に浮いたところが沢山あります。 井戸川の護岸に関して言うと、ものすごく根の浅い石垣、擁壁だらけです。 少し下に岩盤があっても岩着させていないところが多く、そこがやられています。 この洪水で構造的な手抜きが露呈した格好です。 まず、そうしたものの修理と壊れていないところでも、根を深く下ろして洗われても崩落しないようにする工事が先に行われます。 井戸川本流にはそこそこ大きな砂防ダムもあります。 これはとうの昔に土石で埋まってしまい役に立っていませんでした。 掘削浚渫をお願いしてもやって貰えなかったのです。 今回ほどの土砂が流出すると、全部を止めることは不可能ですが、多少は被害を軽減できたでしょう。 この土砂除去工事は「災害復旧」に当たらないと言うことで、砂利採取業者さんに取って貰うとか・・・ 「本来は中々許可の下りないものをただで許してやるから取ってくれ・・・」と、言うことなのですが、砂利業者と言えども、要らない分の石や砂は要りませんし、泥混じりのものは要りません。 そして、一気にダンプカー数百杯とか千杯とかの量も要りません。 県土木が思うほど・・・と言うより・・・効果があるほど採れるのは何時になるやら・・・ 金を払ってでも早急に取り除いてくれるようには要望しておきましたが・・・ 背後地の大馬・瀬戸の山が非常に危険で土石流が何時起きてもおかしくない状況ですからね。 そちらの方も「林政」と合議して出来るだけの対策をするよう要望するしておきました。 何しろ、ほとんど全部が県の管轄ですし、私は県議ではありませんからこんな機会に要望するのが近道です。 「県道七色峡線」の復旧はまだまだ当分先です。 狭い峡谷状の所なので、土嚢を積んで仮設で車を通してしまうと工事は出来ないし、仮設と言えども河川敷を使うほどの川幅も無し・・・ 仮橋を架けて向こう側の山腹に道を付け、もう一本仮橋を架けて戻ってくると言う大工事で仮設道路を作ります。 それが出来るのは来年の夏以降になりそうです。 更に本復旧が出来上がるのはもう一年先・・・ 神川の人・和歌山県北山村の人・野地製材の人には随分待って貰うことになりますが、地形が悪すぎます。 通れない二年・三年の間にも過疎は進むのでしょうね。 片道20分から40分余計に掛かるのが二年三年となると・・・ ![]() このように井戸川を見ると、河口部から上流まで、ほとんど切れ目無く災害復旧工事が行われます。 復旧工事以外では、流木を止める柵が一基作られます。 普通の台風の雨程度ならそんなに多くの流木も出ませんから役に立つでしょう。 膨大な量の時にはこれがダムになって県道を川が流れると言うこともあり得るような気もします。 そんな雨が降らないことを祈りますが、温暖化が進むと・・・ 小氷河期が来るとそっちは言いにしても、もっと困るでしょうしね。 この辺では珍しかった「沈水橋」も無くなります。 取水用の堰も姿を変えます。 水はけは良くなっても段々味気なくなるのが日本の川です。 取って付けたような「親水公園」を作っても、出来たときには文化人は褒めますが、その人たちも近寄らない代物ですしね。 「神仏のご加護を!」 熊野は神々の郷 日本は神国 「神」に頼らないといけないと言う意味なのかも知れませんがね。 ![]() 熊野市周辺地図です 2012年 04月 26日
昨日に引き続き井戸川の台風12号関連水害復旧工事についてです。 河口から3Kmほどの平坦部分は川底の浚渫が主な工事になります。 単純に護岸のかさ上げと行かない所ですから… 両岸を同じようにかさ上げしないと低い方に集中するし、道路をあげるには敷地の狭い区間も多いし、パラペットで上げるにも用地を確保すると神田川状態になりかねませんし… 更に合流してくる小さいとは言え支流も勾配が無いので逆流しますし… 以前に川から少し離れた井土で喫茶店を借りてやっていたとき、12号ほどの増水でも無かったのにそばの側溝から井戸川の水が噴き上げてきましたからね。 一筋縄で行かないのが「水」というものです。 災害復旧ではやれませんが、ボックス・カルバートをもう一本増設しようという計画も検討されています。 説明会では。「カルバートが邪魔をしているから水が溢れる!」となじる声もありましたが、事実誤認ですね。 伊勢湾台風の後、あのカルバートが作られたのです。 昔からの念願であった、「河口閉塞」から、井戸の人は解放されたのです。 それまでは、台風の度に河口が詰まって川が溢れ、鉄道から山側の田圃は湖のようになったのです。 あれが出来てから少し安心できるようになり、田圃が埋められて住宅地に変わったのです。 カルバートが無かったら… 住宅地が出来なかったでしょうから、確かにこうした被害は無かったかも知れません。 ほとんどの人は、カルバートがあるから住み着いたのです。 そんなことは意識はしないでしょうけど… つまり、今の赤坂も井土も井戸川の遊水池を埋めた所なんです。 でも、こうして宅地になって人口の一割ほどの人が住み着いたのですから守らなくてはならないですね。 その根本解決は「カルバートのトンネル増設」しか無いでしょう。 大変な工事ですが隣町の「輪中」よりは効率の良い物です。 必要な用地には数軒の家もありますが住んでいない所がほとんどですし… でも、中々土地が買えないのが熊野なんですけど… もう一箇所… 鉄道の鉄橋が低いのと橋杭が矢鱈と多いのも困りものです。 昔に作った鉄橋で、橋桁がすごく細く、それを支えるために橋杭が多いのです。 さらに、線路自体も低いのです。 大水になると紀伊木本駅当時から駅前が冠水する高さに設置された紀勢線なんです。 線路が冠水する前に橋桁には水が当り、近年のように山からの流木が増えると引っかかって当たり前です。 今回も浸水もここがダムになりましたから… そして、その水圧に耐えられなくなって向こう側の橋杭が傾き橋桁が落ちたのです。 しかし、これの改良は線路のかさ上げが必要だし、道路のように手前でひょいと持ち上げる訳にも行きませんから、まずやっては呉れないでしょう。 向こう側はポイントだらけの駅構内ですしね。 いくらJR東海が黒字でも、紀勢線は一度も黒字になったことが無いですから… ![]() ![]() 熊野市周辺地図です 2012年 04月 25日
昨夜は三重県紀南建設事務所(県土木)が行った、台風12号関連水害の「井戸川流域災害復旧工事説明会」に行ってきました。 私の住んでいる木本町は井戸川の水はあふれてこない所なのですが、仕事柄、井戸川の工事についても沢山の質問を受けますし、知りたいこともありますから住民では無いのですが出席しました。 小選挙区制では無いので、市内全域が受け持ちですしね。 何しろ、井戸川は大峪と大馬の二つの源流から河口まで切れ目無く全域やられましたからね。 少し前に、瀬戸と大馬では説明会を済ませたようです。 そして、住宅密集地の井戸中心部の説明会になったのです。 被害戸数が多かった割に説明会への出席は少なかったです。 「災害復旧工事説明会」であり「要望を聞く会」では無いので意欲が湧かなかったのかも知れません。 この手の工事は名前の通り「復旧工事」が主体です。 以前に比べれば、「復旧」では無い部分の「改良」「防災」の感覚も増えていますが、それでも国の予算もやっぱり「災害復旧費」ですから住民の思うには任せません。 これは、あれだけ言われている東北の災害でも同じですね。 ここは規模が小さい分、無理も利きにくいです。 井戸川河口から下の大馬神社(遙拝所)までの平らな区間と、その上流では様相が全く変わる川です。 たった3Kmほどなのですが、下流部は砂地の川で、その上からはゴロ石どころか大きな岩が積み重なる川に変わるのです。 山が急なのと出口が狭いので扇状台地にはならなかったのでしょう。 この下流部はこの水害で水があふれて住宅街をどっぷり浸けてしまいました。 そして、水が引くと河床が1.5m~2m位上がってしまいました。 元々、遊水池になる河原が無い川になってしまっているのでこれではすぐに溢れます。 と言うことで、この区間は秋までに浚渫します。 少しだけ住民の人は安心するでしょう。 「梅雨時をどうしてくれる!」と言う声もありましたけどね。 でも、ここに元々ネックになっている鉄橋部分が立ちはだかります。 国鉄時代からこうした土木工事の大きなネックになる事が多いのです。 安全第一…運送事業法とか…元は日本国有鉄道として法律で守られてきた団体ですし、「ファミリー企業」なんてのが今でも厳然として工事全般を独占しているのも常識みたいな世界です。 河川は国のもので、井戸川は三重県の管理なのですが、この部分は県土木でも中々手が出せないのです。 災害の復旧で鉄橋を架け直すのも管理者の県の意向より東海旅客鉄道の方が強かったとか… 私の今までの経験からしても「さもありなん」です。 と、言うことで鉄橋のそばから河口のカルバートまでの300mほどの工事はどうなるかまだ未定だそうです。 決して民営化されては居ません。 良い意味でも悪い意味でも、やっぱり「国鉄」なんです。 続く ![]() ![]() 熊野市周辺地図です 2012年 04月 24日
出雲の国は大和の国とは違う民族、違う文化だったとも言われるようですね。 「縄文字」なんてのがあったとか… 縄文字は南米の方にもあったとか… 他にも「隼人」もヤマトでは無いとか… もちろん「アイヌ」は別ですしね。 あきらかに容姿の違うアイヌを除いてはごちゃ混ぜになっていったようですし、それが大陸の方の国のようなややこしい民族紛争のない国を作ったのでしょう。 そのおおらかさはいい加減さにもつながるのでしょうけどね。 渡来人もどんどん受け入れてきたのだし… なのに… 近世になってからおかしな事になったようですね。 「鎖国」に続く「明治維新の開国」で、偏った愛国心?を煽ったからでしょうか? 出雲国も神の国ですね。 なにしろ、十月には「山の神」を除いて日本中の神々が「出雲」に集まっちゃうのだそうですからね。 「通常国会」なのでしょう。 集まるところが「伊勢」でも「丹後」でも「淡路」でも無いのが面白いですね。 その出雲にある「出雲大社」の「大阪分祀」という団体が「熊野信仰」を取り入れているようです。 「花の窟神社」には年に二回でしょうか、団体でお参りに来ます。 「お綱掛神事」とは別に独自の行事をやっているようです。 宗教団体としては新しいようですけどね。 新宮の「神倉神社」のそばにもこの団体と同じような団体の教会?があったように思います。 この「出雲大社大阪分祀」と「熊野」の関係については何も聞いたことありません。 最近では、花の窟神社へのお参りの日には地元の人たちが大きな団体と言うことで接待をしているようですけどね。 バスから自家用車からで、有名な「お綱掛神事」より多いくらいの人が参拝しますからね。 何しろ「宗教団体」ですから、単純に「観光客」として扱う訳には行きませんね。 それだけに、一杯来ている割に中味などは報道もされていません。 こうしてこの団体がやってくると言うことは、神話の世界では結びつきがあるのでしょう。 私にとっては、日本の神話の世界は神様の名前からして日本語とは思えないくらいですから全く分かりません。 言葉の方も、日本人のいい加減さで「ヤマト」が征服していった割に「大和言葉」を押しつけないで変わっていったのかも知れませんね。 そのいい加減さの典型が私でしょうけどね。 ![]() ![]() 熊野市周辺地図です 2012年 04月 23日
前にも触れたと思いますが… お葬式が続いたので又々不思議さがぶり返しました。 一軒が「天理教」で一軒が「日蓮宗」…他は全部曹洞宗… 長い目で見ても私の廻りではこの他では「創価学会」があるくらいです。 お寺さんも「念仏」が一軒あるのは知っていますが、他には「大師堂」とか「水大師」なんていうお堂しか浮かんできません。 曹洞宗以外は「両鉢」なんてお坊さんが7人も必要なお葬式は出来ません。 この曹洞宗に固まっちゃった理由もよく分かりません。 近いところには「高野山金剛峯寺」と言う日本仏教の元締めの「真言宗」の総本山があるのに、その真言宗では無いんですね。 遠く「永平寺」の「曹洞宗」なのです。 隣の吉野郡下北山なども同じようです。 宗派は曹洞宗なのに、「弘法大師」が大好きみたいです。 各宗は横断の「西国33箇所御詠歌」はお通夜にやるんだし… 「御詠歌」の共通本尊の「観音様」はそんなに目立たないし… 「観音経」を唱えているのもあまり聞かないし… それに… 飛鳥とか五郷みたいに元々家の少ない村でも、同じ「曹洞宗」のお寺が何ヶ寺もあるんです。 信仰心の厚い時代でも全部の末寺が小さなお寺になってしまいますよね。 だから、大きなお寺さんの無い所です。 小さな寺ばかりで住職さんも食えないので何ヶ寺もの掛け持ち状態です。 私の家なんかは、ひいじいさんとじいさんが、檀家寺だった曹洞宗のお寺のもめ事で位牌を持ってけんか別れして、こちらには無かった日蓮宗のお寺を作っちゃったのだそうです。 そして、その頃に「天理教」が入ってきてどっさり入信しちゃったようです。 まあ、日本は結構いい加減なところですからね。 いやいや… 柔軟性に富み、新種の精神に満ちたところなのでしょう。 耶蘇教が入ってくれば信じちゃうし… 白装束の団体…ポアを命じる教祖様の団体…足の裏で何でも分かる団体…集団見合いの団体…女の子の信者を引き連れて居た団体… いやはや賑やかなものです。 弘法さんが好きな人が多かったので、「高野山」にお参りする人も多かったようです。 永平寺より近いですしね。 もっとも、高野山には各宗派の開祖も祀られていますね。 高野山にお参りしておけば足りるかも知れません。 かくいう私は、身延山・比叡山・高野山・永平寺などと言う本山にはお参り?見物?に行っています。 何宗の何派ヶ分からないお寺なら・・・ 法隆寺・薬師寺・東大寺・知恩院・西芳寺・天竜寺・三千院・金閣寺・銀閣寺・泉岳寺・増上寺・浅草寺・瑞巌寺・毛越寺・恐山菩提寺・・・ 数え切れないくらいです。 何しろなんと言って拝んで良いのやらさっぱり分かりません。 大きなお寺も無いので大きな宗教行事も無いです。 で・・・ 一体誰の影響で「曹洞宗」が多いのでしょう? 近くで一段大きな、那智山青岸渡寺は天台宗です。 吉野の金峯山寺なんてのは戦後に立宗した「金峯山修験本宗」なんてものらしいです。 つまり、大きなお寺の影響でもなさそうです。 ![]() ![]() 熊野市周辺地図です 2012年 04月 22日
熊野と外国というと、「秦の徐福」が出てきます。 秦の始皇帝の命で「不老長寿」の薬草を探しに来たのだとか… 探していたのが「天台烏薬」だったとか… 現代医学で早く校が無いとか… 歴史に残って?居るものではこれが古いものでしょう。 でも、この立地条件から言うと人類が海に出るようになって以降には随分色んなのが流れ着いたでしょう。 漁に出てそのまま流されてきた南方の漁師… 冒険に出て流れ着いた向こう見ず… 記録には残らないけど結構な数でしょうね。 ここから出ていった人も沢山居ます。 「普陀楽渡海」なんてのは極楽浄土向けの片道公開ですから別格ですが… 戦前の満州にも沢山入植したようです。 私の年の違う同僚にも「満鉄」に居た人も居ましたし、「満州引き揚げ者」の人も居ました。 その頃だと、私の父は「北支」で戦死し、おじが「ビルマ」で戦死しているように、アジア各地に送り込まれています。 平和に渡航した人たちには、戦前のブラジル移民と戦後のブラジル移民の人も居ます。 「ボリビア」に移住した人は知りませんが、この地方からも居たのでしょうね。 戦前に「ハワイ移民」も居たのかな? ブラジル移民で帰ってきた人も廻りには居ます。 「ナンベー」などと呼ばれた家族も居ます。 戦後になってブラジルで出世した人も居ます。 サンパウロ州警察の大佐だとかでえばって居た人は南牟郡市木の人でした。 ブラジルを訪れたときにその人の引率で警察の訓練を見せて貰いましたが、アメリカの州の軍隊のように警察では無く完全な軍隊でした。 バストスで大農園を経営している人も市木の人だったように思います。 でも、貧しいままで終わった人の方が多いのでしょうね。 こんな風に世界に散っていった「熊野人」も多いようです。 そして、近年では大昔のように南方系の人が入ってくるようになりました。 豊田などのような工員さんとしてでは無く、夜の仕事で来る女の子とか、日本の田舎ではよく見られるように「嫁不足」を解消するための花嫁さんです。 ほんの半世紀前には「戦争花嫁」で日本の女の子がアメリカなどに渡っていたのですけどね。 日本の国籍法は島国だったので制約がきついようですね。 渡航していた日本人にはそこそこ優しく、帰国も楽だったようですが、入ってくる人には厳しいようです。 元々は「単一民族では無かったようなのに、すっかり「大和民族」で一括りしてしまいましたから、その他は「外人」「異民族」なんですね。 「花嫁さん」になってくれても… 米軍基地も無いし… 近代では流れ着いたのは「トルコの軍艦」くらいだし… 今でも「外人さん」は珍しいです。 新宮では「合気道}?の道場に目の青い弟子がちょこちょこ来るようですけど、それ以外は… 「世界遺産」になってからも外人さんの「バックパッカー」はあまり見かけません。 鎖国している訳では無いのですけどねえ… 中学校の英語講師が数人居るようですが、目に付きませんね。 観光地だし、「秦の徐福」の伝説もあるけど、今はやりの「中国人観光客」も来ません。 和歌山県は力を入れているので白浜くらいまでは来ているようですけどね。 白浜は「温泉」があるし、中国人のお目当ての「大阪日本橋」とのセットで売り込めますからね。 日本人のツアー同様駆け足?全力疾走?の団体さんに、「田舎の峠道を歩け!」と言っても来る訳無いですよね。 と言うことで、熊野と外国って、縁が無いことは無いのですが、日本の中では、「外国が遠い場所」なのかも知れません。 飛行場も遠いですけど… ![]() ![]() 熊野市周辺地図です 2012年 04月 21日
確か昨日、「星三つ!」の人が来ていたはずです。 クラシックカーを連ねて走る団体で、「まちゃあき」「マッチ」などが所属する所のパレードです。 去年はたまたま出かけたところでおばさん連中がたむろしていたので、「わしをまっとったんかえ?」と声を掛けたら、このパレードを待っていたのです。 「あんたより一寸だけええ男をまっとるんじゃよ!」と言われましたけどね。 「まちゃあき」では無く「近藤正臣」だったかな? 昨日も去年同様、「熊野倶楽部」で休憩をしてから国道42号線を北上して伊勢に向かったのかと思います。 葉巻型のロータスとかモーガンやスポークホイールのMGなんて典型的なクラシックカーが沢山走ります。 我が家の前も通ったはずですが黙って通り過ぎますから見ていません。 かつてスーパーカーブームの頃には「カウンタック」「ポルシェ」なんてのが列をなして走ったこともあります。 何しろ一本しか無いルートですから我が家の前は必ず通ります。 その割に野次馬根性に乏しいので見ていませんね。 「ハーレー・ダビットソン」の軍団が通ったり・・・ 子供の頃には「十輪車」なんて言うごついトラックで「進駐軍」が通るのも見ましたね。 何しろ軍事的には重要性の無い紀伊半島南端の方では「進駐軍」が珍しかったので見て喜んだものです。 今では年に一回くらい自衛隊の車が纏めて通るのを見かけますけどね。 このように紀伊半島をぐるっと回る国道42号線というのは「廻るるため」「走るため」に来る車以外は通り抜ける車が無い道です。 車にはそうした種族が居ますが、鉄道のお方では少ないです。 たまに奇特なマニアが紀勢線をぐるりと廻って乗ってみるようですけどね。 かくいう私も学生時代「本州一周」を旅行して、寄らなくても良い熊野も紀勢線を使わないと一周にならないので回ったことがあります。 国鉄の分は一枚の周遊券でした。 と、言うことで・・・ 旅の途中でふらりと立ち寄るって言う人の無い場所ですね。 プランを立てていて・・・ その道中に「こんな所もあるみたい・・・」なんて無いのです。 「熊野」を「目的にしない人が通らないのですから・・・ 宣伝でも、「近鉄」「南海」「名鉄」なんて私鉄は関係ないし・・・ 「JAL」「ANA」なんて飛行機会社も関係ないし・・・ 「JR東海」も「JR西日本」も領土が半分ずつだし、新幹線が無いので大きなポスターはあまり作らないし、テレビでもやらないし・・・ 神様や仏様たちが宣伝してくれても、その人たちの団体では目に見える御利益は無いし・・・ ![]() 2012年 04月 20日
今年は春が来るのが少し遅かったです。 遅かった春もやってくるとすぐに通り過ぎて、廻りはそろそろ初夏の香りがしてきたようです。 今は春と初夏がごちゃ混ぜ… 田舎では3月下旬になると田圃に水が入ります。 今年は昨年の台風12号関連水害で水路がやられたり田圃の岸が崩れたり、田圃が土石で埋もれたり・・・作付けが出来ない所も多いです。 お年寄りが守ってきた田圃の中には二度と耕作されなくなった廃耕田になってしまうところもあります。 労力を掛ける力も無し・・・直してもこの先何年作れるやら… 秋に干し上げた田圃は冬に「荒起し」がされています。 春先に水が入り、かきまぜられると、寒さを生き延びた「ゲンゴロウ」や「ミズスマシ」などが泳ぎ始めます。 そして、ドジョウもかすかな水分だけで眠っていたのから解放されて「水を得たように」泳ぎ始めます。 「かえる」もたたき起こされて、眠そうにのそのそ動き出します。 でもその蛙はすぐに卵を産んでオタマジャクシが出てきますね。 今は「苗代」というものが無くなって、稲の苗は箱で育てられますから、田圃の作業は少し遅くても良くなっています。 それに、「牛」で耕していた頃に比べれば格段に能率が良いですね。 牛が田圃を耕している光景も昭和30年代に姿を消しました。 熊野市で稲作が観光イベントになっているのは、「産田神社」と「丸山千枚田」でしょう。 「産田神社」は宗教がらみと言うこともあり地元の有馬町の人たちが維持しているようです。 紀和町「丸山千枚田」は熊野市が助成して?熊野市が主導で?やっています。 そこそこ賑わうのですが、「これが観光か?」と言われると、首がうんとと横に傾きます。 招待されたオーナーやお歴々の他にもカメラマンもそこそこ来ます。 狭い田圃なので被写体が手の届くところに居て、写真にはしよいですからね。 でも、来た人がお金を使うところもありません。 駐車場を用意しシャトルバスも走らせ、職員も動員し… 隠れ予算も入れると大変なものです。 5月20日 日曜日 荒天の場合中止もあります 午前10時~午後1時 紀和町丸山千枚田 駐車場は紀和町板屋 「紀和B&G海洋センター」 会場まで無料シャトルバスが随時運行されます。 この駐車場の前には朝日新聞が取り上げた、戦時中の「朝鮮人労働者」の慰霊碑があります。 少し先には「イルカボーイズ」と言われる「英国軍人捕虜」の慰霊碑もあります。 この地方の…いや、日本の負の遺産がこんな田舎の山の中にも残されています。 子供連れで来るなら、こうしたものも見せたやって欲しいものです。 と、言っても、肝心の大人が知らないのでしょうけどね。 ![]() ![]() 熊野市周辺地図です 2012年 04月 19日
毛沢東だ…紅衛兵だ…鄧小平だ… 中国では何かあるときに出てきたのが「自力更生」という言葉みたいです。 今では日本はお上の力が強く、借金してまで色んなことをやるので最近ではこの力が無くなったようです。 日本だって、昔から田舎の生活は、「自力更生」「自給自足」でやって来たのです。 いや、「自力更生」は良いにしても、「自給自足」の方は「自力他足?」みたいに、作った米も食えない時代が続いたのです。 今の時代は田舎から働き手も減り、「自力更生」しようにも動ける人間が居ない…「自給自足」もせいぜい「家庭菜園」程度で生活全般を自足できる状態では無く、食品などは消費地になっています。 昨年の台風12号関連水害の後でも、水田に必需な水路がずたずたになりましたが、その復旧もお役所に頼らないとどうにも出来ない集落がほとんどになっています。 昔なら、台風が過ぎて自分の家の周りが済んだら、みんなが出て「堰」の修理から土砂で埋もれた水路の掃除やら補修に取りかかったものです。 役所に頼むのは「セメント」だけと言うのが普通でした。 まさに「自力更生」のお手本のようなものでした。 農道の拡幅や補修も集落の出合いで… 簡易水道の布設や補修も… 今では遠い昔のような話です。 そんな時代でも、「自力更生」で自分の家の周りを補修した人も居ます。 熊野の一番都寄りの「大又大久保」という所の大久保さんは大又川の川と私有地の境目にある護岸を自分で固めちゃいました。 御年80才を超しているのかと思います。 ![]() 一部崩された所は石を集め、自分で積み上げてセメントを巻く… 奥さんは同じようのお年ですしもうこうした仕事の手伝いも出来ませんから、全く一人でなさったようです。 大災害の時で、大崩れはしていない… と、なると復旧工事を待っていたのでは何時のことやら… それに、ここのレベルだと、取り敢ずは「復旧工事」で終わります。 安心のために自力でやろうと決意したようです。 あと10年…15年… 自分の城を守るため… 頭の下がる思いです。 玄関先の穴ぼこでも役所を怒ることはあっても自分で直さない人の多い時代なのに… ![]() 熊野市周辺地図です 2012年 04月 18日
バブル崩壊ーリーマンショック・長期不況ー東日本大震災ー台風12号関連水害とマイナス要因がずっと続いて下がる一方の観光熱です。 元気な観光客は中国人だけ…なんて言われるほどです。 世界に名をはせた「のーきょー」なんて、もはや国内でも忘れられています。 田舎に張り巡らされた支所や売店も「合理化」でほとんど姿を消しましたからね。 さらに、ガソリンがもはやニュースにもならないほど慢性的に値上がり続けです。 車で無いと来にくいし遠い紀伊半島などはこれも応えます。 それでも、「熊野古道も水害でぐちゃぐちゃ」、「那智なども止まるところも壊滅」、などと言う風評も段々薄れてきたようです。 ほんの少しだけ車が増えたようです。 そんな気がする程度に過ぎませんけどね。 観光シーズンなんて昔の言葉みたいなものです。 観光バスのフロントウインドウに札が貼ったあって、10号車を先頭に10台が連なる…一台ぽっちりだと肩身が狭い…なんて時代は一昔では無く三昔くらい前だったのでしょう。 この減少には不景気以外に「公職選挙法改正」が大きく関わっているのですけどね。 「〇〇後援会ご一行様」てえのがほとんど姿を消しましたからね。 それに「××町内会様」というのも「原発視察」という名目の買収ツアーも原発建設ラッシュ時代と違いありませんしね。 今の時代の国内旅行は個人旅行が主力でしょうね。 誘致に苦労する形態です。 本屋さんの「ガイド本」の「売り上げも増えない時代です。 ネットで宣伝…と、役所は簡単に言って予算だけは付けますが、効果のほどは???? 「世界遺産」でgoogle検索すると54.900.000件 「熊野古道」で2.760.000件 こんなに引っかかって来るのです。 目的が具体的にあってもこんな状態です。 『どこか行こうか?』…と言うときに熊野とか熊野古道とかが引っかかってこないのがNETの世界です。 検索サイトに宣伝入れても… ZTVと言うケーブルテレビではなんだか地元の宣伝をしているようです。 よその人の目には触れませんけどね。 三重テレビという12チャンネル系を流す県内ローカルの放送局でもやっています。 でも、これも県内向けです。 5年ほど前には全国版でばんばん流れたんですけどね。 それでも、「行列」は出来ませんでした。 「蟻の熊野詣」なんて夢物語です。 世界が狭くなっちゃって、日本人がスペインの遍路道を歩いたりしているそうです。 と言う私はその気持ちが分かる方なのです。 良い季候になりました。 「松本峠」から眺めると、熊野灘から霞がたなびいて熊野三山がかすんで見えます。 あちらに極楽浄土への入り口があるとか… 下北の恐山とは対照的に死後の世界が明るいものに思えますよ。 ![]() ![]() 熊野市周辺地図です |
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